インタビュー

《競技者》 小池早由里
Vol.16 【心とからだ】病気を乗り越え、前向きにチャレンジ
今回のゲスト
《競技者》 小池早由里さん
(甲府市)
競技者

様々な葛藤を乗り越えて

Q大きな困難を乗り越えたエネルギーは何ですか?
事故後、両足がしびれ、ヘルニアで3ヶ月入院しました。しかし痛みはとれないばかりか、背骨に病変が見つかりました。手術をすると今度は血管障害が見つかり、胸椎くも膜下のう腫と言われました。頭痛がひどく、その後1年間ベッドから起き上がれない状態が続いたのです。そんな姿を「若いのにかわいそう」と言われ、無性に腹が立ちました。自分のことをかわいそうと思っていなかったので、一番聞きたくない言葉でした。「自分の気持ちは誰にも伝わらない!」そんなやりきれない気持ちを寝たまま日記に綴ったのですが、その時の思いがエネルギーとなったのかもしれません。
しばらくして車椅子に乗れるようになると、散歩ができ、檻のようなベッドから抜け出せたのがとても嬉しかったです。そして、足がだめでも、私は手を使い、たいていのことはできると、少しずつ前向きになりました。

Q退院してからの車イスの生活。どんな苦労がありましたか?
生活場所をバリアフリーに直したのですが、最初は自分を障害者として受け入れられず、自分に自信がもてませんでした。外出はジロジロ見られている辛さもあり、誰かが一緒にいないと不安で、一人で出掛けるのは嫌でした。特に、息子の授業参観は、「行きたい」という気持ちと、「行って大丈夫なのか」という不安があり、「行こう」と決断するまでにはかなりの葛藤がありました。最初に授業参観へ行った時には勇気が必要でしたが、先生方の協力と、親の付き添いのお陰で無事参観できました。息子もとても喜んでくれました。この一件は、私にとっても、それまで人に助けを頼むということができなかった自分が、周囲に自分から頼むことができたという大きな進歩となりました。

スポーツへのチャレンジ

Q新たな生活でどんなチャレンジをしましたか?
車イスで保健師の仕事をこなすのは難しいため保健師は辞めましたが、何とかして仕事をしたいと思っていました。それで、他に資格を取ろうと思い、通信教育を受けてみましたが、うまくいきませんでした。夫も「俺一人の収入で大丈夫」と言ってくれたので、体力がつくまで仕事探しを休むことにしました。そのころ、たまたま出かけたところで、刺繍作品に出会い魅力を感じ、また、もともと手芸が好きだったこともあり、刺繍を本格的に始めてみました。今は自宅で刺繍教室を開いています。
また、スポーツを3年位前から始めました。きっかけは、甲府市の障害者卓球大会に誘われただけなのですが、全国大会にまで参加することになり、しかも、ソフトボール投げ、スラロームにも出場したのです。その練習の合間に水泳を始めたのですが、今は水泳が面白くて練習に励んでいます。全国大会で優勝もしましたが、記録に納得していないので、まだまだ頑張れば記録は伸ばせると思っています。他人から頑張り屋と言われますが、負けず嫌いの意地っ張りかもしれません。やりだしたらやるしかないと思っています。

次の目標はパラリンピック出場

Q今後の抱負をお聞かせください。
水泳でパラリンピック(世界最高峰の国際障害者スポーツ大会)に出ることです。昨年6月から、水泳の大会に出場し、今は自由形400mの記録を伸ばすことを目標にしています。まだ、体力・技術・精神力が劣っているので、日々の練習を頑張りたいと思います。

☆メッセージ☆

怖がらずに一歩前へ出ること。進んだ道がだめなら、別の道を探せばいい。


取材日:平成17年9月27日

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小池さんのこれまで

長野県諏訪に生まれ育ち、看護の専門学校を卒業後、地方自治体で保健師として働く。バドミントンを通じて知りあったパートナーと結婚し、一男をもうける。

甲府市に転居。1997年 保健師として働いていた『健康祭り』会場で事故に遭い、胸椎くも膜下のう腫を発病。二度の大きな手術、二年半に及ぶ入院生活を送り、胸から足にかけての自由を失う。

2002年、入院中の日記をもとにした、闘病日記「私の脚が翼に・・・」を出版。

自宅の一部を教室にして刺繍を教える一方、学校で福祉講話の講師や競技者(水泳)として身体障害者スポーツ大会に出場し、優勝するなど活躍。

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