インタビュー

《大工》 名取 裕子
Vol.1 【働く】大工をずっと続けたい
今回のゲスト
《大工》 名取 裕子さん
(韮崎市)
大工

中学生の頃、部屋の改築に来てくれた大工さん。その見事な仕事ぶりに感激。

とても力仕事には似つかわしくないスマートな体型。7ヵ月になる赤ちゃんを抱き上げる様子は、どこにでもいるような普通のママ。名取裕子さんは、全国でも数少ない女性大工さんのひとりです。
中学2年生のとき、自宅の物置小屋を改築して名取さんの部屋にすることになりました。工事には一週間くらいかかったそうですが、毎日学校から帰ると見違えるように変貌していく部屋にビックリ。大工さんの仕事にとても感動した名取さんは、「将来大工さんになりたい」という夢を持つようになりました。
地元新潟の高校を卒業して、千葉県の会社に就職した名取さん。
「とりあえず、関東地方に出たかったんです」
工作機械のメーカーで組立作業の仕事を始めました。まわりは男性ばかりという職場で楽しかったそうですが、事務職への人事異動がきっかけで5年間勤めたこの会社を辞めました。23歳にして子どもの頃からの夢だった大工の道を選びます。
「就職情報誌を頼りに横浜の会社に電話したんです。『なにも知らないんですけど、女性でもいいですか?』と聞いたら『いいよ』って言ってくれたので」
いきなり飛び込んだ職人の世界。名取さんはすべてのことを一から覚えなければなりませんでした。はじめのうちは失敗の連続。それでも体力と腕力には自信がありました。
一年半後、本格的な大工の修行のため、明野村の会社へ転職。ノミやカンナを使った大工の技をここで習得していきます。平成11年に、この会社で職場結婚。長男と長女を出産し、現在育児中です。

女性だからということで感じるハンデはほとんどない。むしろ、女性であることを生かして仕事ができたら。

男性ばかりの職場で困惑することも多いのではと思いましたが、名取さんは女性であるということに不都合を感じたことはほとんどないといいます。
「現場に女性用トイレが用意されていなかったことが、一度だけありました。そのくらいかな。力仕事も男の人に負けないと思っているし」
仕事の上で男女の区別を意識したことはあまりないようです。
二人目のお子さんを出産するにあたり、名取さんご夫妻は夫の実家に隣接した場所に自分たちの手で新居を建てました。文字通り、夫婦の共同作業です。
「ケンカしながらつくりました」
という新居にお邪魔。木の香りが漂う真新しいお宅の随所にハウスメーカーの家とは少し違う工夫がみられました。たとえば洗面所と洗濯物を干すスペースとの間の大きな棚。本来壁になる部分が両面から使える棚になっているので、洗濯物のやり取りとタオルなどの収納に威力を発揮しています。天井の大きな梁からぶら下がったブランコや小さなグリーンを飾るためのかわいらしい棚。夫婦共同のたまものです。

女性の社会参画に不可欠なのが家族の協力。「子供がかわいそうかな」と思うことも。

この春から、二人目のお子さんも保育所に預けて仕事を再開する予定の名取さん。仕事と家事・育児の両立が始まります。「洗濯はずっと夫の担当」とか。
「子供がまだ小さいので、ちょっとかわいそうかなって思います」
仕事とはいえ、好きなことをさせてもらうという「うしろめたさ」があるのでしょうか。
「でも、好きな仕事を思い切りやって、ストレスのない状態で休日は子どもと遊んでやれますから」
名取さんは妊娠中、民間の通信教育で『福祉住環境コーディネーター』の資格を取得しました。介護福祉士や、ケアマネージャーが持っていることの多い資格です。
「仕事に生かせたらいいなと思って取りました」
高齢者社会が進むなか、バリアフリーなどに配慮した高齢者向け住宅の需要はますます伸びることが予測されます。大工という職業を通じて住環境の整備に貢献したい、と仕事への意欲は高まる一方です。
「体力の続く限り、大工をしていたいです」
子どもの頃の夢をかなえ、大工になった名取さん。現在は、夫婦で工務店を開くという新しい夢に向かい走り続けています。

取材日:平成17年2月8日

バックナンバー

名取さんのこれまで

実家のある新潟の高校を卒業後、千葉県の工作機械メーカーに就職。男性に混じって製品組み立て作業などの仕事をする。

人事異動で事務職になったのを機に、子どもの頃からの大工になる夢にチャレンジすることを決意。神奈川県の工務店に再就職。

山梨県明野村(現・北杜市)の工務店に転職。職場結婚。

一男一女をもうけ、自宅を新築。産休中に『福祉住環境コーディネーター』の資格を取る。

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