インタビュー

≪女子ホッケー国際審判員≫相馬 知恵子
Vol.48 【キャリアアップ】夢をかたちに!〜オリンピック3大会連続出場〜
今回のゲスト
≪女子ホッケー国際審判員≫相馬 知恵子さん

選手から審判へ新たなスタート

 もともと白根がホッケーの町ということもあり、最初にホッケーを始めたのは小学校のホッケー大会でした。その後中学校ではバレー部に所属していたのですが、高校の時に「1年生でも試合に出られる」という先輩の言葉に惹かれてホッケー部に入部しました。
 それから3年間はホッケー漬けの毎日でした。ちょっと具合が悪くても、夕方には元気になって部活動に参加することもありました。それぐらいホッケーが好きだったのです。
 大学進学後も続けたいと思っていたとき、山梨学院大学がホッケー部を創設するため県内外から部員を集めているという話を聞き、迷わず推薦を受けました。最初は落ちてしまったのですが、私のホッケーに対する熱い想いが当時の監督の印象に残っていたこと、辞退者が出たことなどが重なり、後に直接監督から連絡をいただき、憧れのホッケー部へ入部することができました。
 ただ、いざ入部をすると全国レベルの選手ばかりでした。大学2年になる頃から、後輩が練習に参加するようになり、紅白戦でも交代出場や審判をする機会が増えてきました。そんな時に監督さんから「審判をやってみたらどうだ」という話をされたのです。当時オリンピックに出ている女性の審判が日本にいることや、審判の場合は、自分自身の頑張り次第でオリンピックやワールドカップへの出場も不可能ではないことを聞き、すごく悩んだ結果審判を専門的に始めることにしました。

いざ夢の舞台へ挑戦!!

 大学3年生の時にB級の資格を取得し、4年の春から本格的に審判としての活動を始めました。大学の支援はもちろんですが、B級の試験の面接で「私は国際審判員になり、オリンピックに行きたいです」と言ったこともあり、日本協会の審判部の方からも多くのサポートや指導をしていただきました。学生時代は国体、社会人大会など全国端から端までさまざまな大会に行きました。社会人になってからも山梨学院大学の寺本監督が当時全日本女子の監督をやっていたこともあり、マネージャーも兼ねてチームに帯同させていただくなど、審判として国際試合の経験を積ませてもらいました。
 2002年アジア大会の決勝では、韓国の反則により私の下したシビアな判定や、結果的に1-2で中国に敗戦したこともあってか、観客が試合終了後にスタンドに押し寄せるなど恐い思いをしたこともありましたが、その状況での的確な判定が評価につながってか、同年に開催されたワールドカップに初参加することができました。また、これがきっかけで「ワールドパネル」という審判として、一番上のランクに上がることもできました。
 その後、アテネ、北京、そしてロンドンオリンピックと3大会連続で出場をさせていただいたのですが、初のオリンピックでは想像以上の緊張から、自分の感情をコントロールできずにベストを出すことができませんでしたが、長年の夢であった舞台に立てたという達成感で一杯でした。北京では2回目の出場だったにも関わらず、満足いく笛が吹けずに悔しい思いを残しました。ホッケーの審判は、速いスピードの中で良いプレーを引き出しながら、両チームにとってより良いゲーム展開になる様に考えて笛を吹くことが必要であり、その一瞬の間の判断がとても難しくて一つ一つの笛がとても重要となります。今回、ロンドンでは最初の試合から良い笛を吹くことができ、メダルのかかった3位決定戦を吹く機会をいただけました。夢のオリンピックで良い笛を吹けた事は、本当に嬉しくて幸せなことだと実感しました。

家族や周囲のサポートに感謝★

2006年には結婚をしました。主人も長くホッケーをしているので、ホッケーのことはよく分かっていて、私の審判活動に対しても理解やサポートをしてくれています。お互いの実家も協力してくれますし、今回のロンドンオリンピックには、主人と娘、私の両親がロンドンまで応援に来てくれました。「自分は多くの方々のサポートがあって、ここにいるのだから、頑張らなきゃ!」という気持ちがとても強かったです。これまで、本当に運が良かったと思いますが、何より周りにすごく助けられているのは感じています。バックアップをしてくれた人もたくさんいますし、家族の多大なサポートや、職場を含め環境にも恵まれています。本当にたくさんの方々の力と運で、夢をかなえられたことに心から感謝しています。

これからチャレンジする女性へのメッセージ

 いろいろなことにチャレンジをすると、自分の引き出しが増やせます。成功する、しないではなく自分が納得できるまでやってみることがすごく大切なのかなと思っています。
 挑戦することは、勇気がいるし大変かもしれないけれど、いろいろなことに携わると、人と人との関わりもできて、出会いも生まれ新たな世界が広がります。
 まずは、どんな事にでもチャレンジして、自分が納得いくまでやってみると良いのではないかと思います。

バックナンバー

相馬さんのこれまで

高校:白根高校でホッケー部に入部し、本格的にホッケーを始める。

大学:山梨学院大学で審判としての活動を始め、3年の時に審判のB級ライセンスを取得する。

2002年:ワールドカップに審判として初出場を果たす。

2004年:アテネオリンピックに出場

2012年:北京オリンピックへの出場に続き、ロンドンオリンピックへ3回連続の出場を果たす。

現在:NPO法人スポーツアカデミーで勤務をしながら、審判として国内外を問わず活躍を続けている。

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