インタビュー

《ダンボール製造販売会社経営》 東條初惠
Vol.9 【起業】挑戦が成功の秘訣
今回のゲスト
《ダンボール製造販売会社経営》 東條初惠さん
(南アルプス市)
有限会社シラネパック代表取締役

人生の後半、自分の力を出し切って生きるために起業。

東條さんが、ダンボール製造販売会社「有限会社シラネパック」を設立したのは45歳のとき。『人生80年』という言葉を自分自身に当てはめたとき、残り半分の人生をどう生きるかを考えたといいます。
「自分の力を出し切って生きるためには、このまま勤め人の人生として終わるのではなく、何かを始めなければ」と思い会社を興そうと決意。その業種については、ダンボールか貴金属かで迷ったそうです。
「人が何かを買うと、それは必ず箱に入って手元に届きます。ダンボールは商品の最終的な入れ物なんです。木から作るダンボールは、燃やしても有毒ガスを出さず、土に埋めれば堆肥にもなり、リサイクルもできる。環境に優しいところも時代に合っているでしょう。貴金属に比べて利幅は少ないですが、農協でコツコツ仕事をしてきた私には向いているような気がして」
長引く不況の中、売れる商品は変わってもパッケージの需要は安定していることを見据えての選択。2年間の勉強後、退職金と貯蓄をとりくずし、銀行からの融資を受け、従業員3名で会社を立ち上げました。
「会社を作ったのはいいけれど、技術はない、経営のノウハウはない、というわけで初めは下請け専門。なかなか注文どおりの製品がつくれなくて取引先には迷惑をかけました。創業時にすべての資金を使ってしまったので、3ヶ月で会社が立ち行かなくなり、仕事もない状態。銀行からは会社は潰れると言われ、ノイローゼ状態にまでなりました」そう語る東條さんの瞼からは涙が。そんな状態を打破するため、東條さんは毎日、手弁当で営業に回り、信用獲得に奔走しました。やがて、ブロック・石積み工事用型枠「中板パネル」や果物用オリジナルパッケージなどの開発にこぎつけ、会社を安定させるまでに至りますが、辛い時代を乗り越えられたのは、東條さんの強い意志とエネルギッシュな行動力でした。

「2年間、毎日続ければ達人に」上司の言葉を胸に。

東條さんがずっと信念として守り続けている言葉があります。それは農協勤務時代の上司の言葉で「2年間、一日も休まず同じ事を続ければ、無名の人も達人になれる」というものでした。東條さんは、この教えをすぐに実践します。「足には自信があったので走ってみました。2年間、本当に一日も休まずに。そうしたら駅伝に出ることになっちゃって」東條さんは、毎年京都で行われている全国都道府県対抗女子駅伝の第1回、第2回大会に山梨県代表として連続出場しました。そのときの年齢は36歳と37歳。
また、文章を書くことを苦手にしていた東條さん。日本農業新聞特別通信員を務めることになり、持ち前の負けん気で猛勉強。2年後にはトップ記事を書く敏腕記者に変貌。
さらに、全国家の光弁論大会に出場を決めた時は、2年計画で準備を進めていきます。
「まず最初の1年は原稿をつくり、そして残りの1年でそれを暗記しました」結果は見事に最優秀賞。これをきっかけに講演の依頼があり、全国各地を飛び回る日々を過ごしました。
「やってできないことはないんだな、と思いました」
4年ほど前に火事で工場一棟を全焼してしまったときにも、上司の言葉は東條さんの支えとなりました。「やっと経営が軌道に乗ったところだったのに火災で多額の借金をつくってしまいました。自殺まで考えましたが『とにかく2年間、がんばってみよう。いままで、なんでもやってきたじゃないか』という思いで、なんとか自分を思いとどまらせて」この火事の後、2年間毎日、深夜12時まで仕事をしようと決めたといいます。「毎日のタイムカードは、日付が変わってから押しています。がんばっていることをタイムカードだけが知っていて、毎日、ガチャンと押す音が『ご苦労様』と言っているように聞こえたりして」このときに抱えた負債もあと一年で完済しようとしています。

東條さんの思いがこもった『やまなし女性異業種の会』、起業する人をサポートします。

東條さんは会社の経営と併行して『やまなし女性異業種の会』を発足させました。「あるとき空を見上げて思ったんです。この山梨の空の下に自分と同じようなことをしている女性が結構いるはずだ。だったら、その人たちとネットワークをつくって互いに助け合いながら、一緒に勉強したり、情報交換をする場を作りたい」女性が経営する会社は、骨組みがしっかりしていないことが多いと実感した東條さん。その弱さを補い合い、共に伸びて行くためにはどうしても仲間が必要でした。女性起業家同士が連携して歩んで行くべきだと考えました。
新聞紙面に募集広告を出して呼びかけ、集まった26名のメンバーで『やまなし女性異業種の会』を立ち上げたのは平成9年2月のこと。会社を興してから3年後でした。『やまなし産業支援機構』からは、この活動に対して助成金をいただき、県下初、全国でも珍しい女性起業家のネットワークは、社会への新しいチャレンジとして評価され、発会式は、知事をはじめ県内外から70名もの関係者を集めての盛大なものとなったそうです。
現在は毎月、勉強会を開催し、健康管理やインターネット活用法、弁護士や社会保険労務士を招いての研修をしています。また、県外の優良企業を見学して学習したり、海外の女性起業家を訪ねて経営のノウハウを学んだりと活発な活動を繰り広げています。
「これから起業する女性には『やまなし女性異業種の会』があります。女性起業家をサポートする受け皿があります。経験を積んだ先輩方や専門家が、何かとアドバイスしてくれます。一度、勉強会に来てください」と熱く語る東條さん。山梨で起業家を目指す女性にとっては本当に心強い存在です。
「会社を経営しようと思ったら、とにかく自信を持って最後までやり抜くことですね。がんばれば、必ずできますよ」と語る東條さん。その歩みは、会社を経営するということのみならず、人間としての生き方そのものにとっても非常に示唆に富むものでした。社訓の「小ちゃな会社で大きな挑戦」は、まさに、東條さんの生き方そのものの投影に感じられます。

取材日:平成17年3月18日(金)

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東條さんのこれまで

高校卒業後、農協に就職。

27年間勤務した農協を退職し、2年間の勉強後、平成6年に有限会社シラネパックを設立。

女性起業家の地位向上、異業種間の交流を目的に平成9年『やまなし女性異業種の会』を設立し、会長に就任。

平成11年、ブロック・石積み工事用型枠「中板パネル」の製造・販売を始める。また、消費者に訴える工夫をした果物のパッケージを製品化し、経営を安定させる。

しかし、火災で工場一棟を全焼。多額の負債。逆境に負けることなく売り上げを伸ばす。

平成14年には、全国商工会議所女性会連合会の「女性起業家大賞」を受賞。

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