インタビュー

《国際ボランティア》 小澤幸子
Vol.21 【国際活動】ハイチへの支援が必要な限り、私にできることを精一杯やりたい
今回のゲスト
《国際ボランティア》 小澤幸子さん
(甲府市)
NGO「ハイチ友の会」代表

お金ではなく仕事がほしい・・・そんなハイチの人々の熱意に魅せられて

Qさまざまな国がある中で、なぜハイチだったのですか?
ハイチ難民支援のために行ったアメリカのマイアミで初めてハイチ人と出会い、それまではどこにあるかもわからなかったその国に興味がわきました。帰国してからハイチ大使館を訪ね、ちょうど帰国前だった大使に誘われ、その2週間後にはハイチの空港に立っていました。空港から出た途端、現地の人たちに囲まれて荷物を奪われ、「もう初日から一文無しだ、どうしよう」と思ったのですが、彼らは逃げたのではなく、私の行き先で待っていたのです。荷物を持っていってしまったほうがお金になるのに、「荷物を運んだのだから、賃金をくれ」と言われ、その彼らの「お金ではなく仕事がほしい」というプライドにとても魅力を感じました。そんなハイチの人々の熱意にうたれ、彼らの支援をしたいと考えるようになり、半年後に友人と2人で「ハイチ友の会」を設立したのです。

Q会の立ち上げには、どんな苦労がありましたか?
まず、文化を紹介できるチャリティグッズとして、ハイチの画家の絵をプリントした絵ハガキを作りました。資金は自動車教習所へ行くために積み立てたお金を充てました。絵ハガキの入ったダンボールに囲まれて寝ていると、本当に売れるのだろうかと心配になりました。はじめは大学生に買ってもらおうと思ったのですが、500円あれば1食食べられる、と思うとなかなか友達に「買って」と言えなくて。それで、社会貢献に意欲的な企業や団体に電話をかけて、社内報に載せてもらうようお願いしたのです。その中で、きちんとしたビジネスマナーがわからなくて、お叱りを受けたこともありました。それと、学生という若い身分もあってか、自主的にやっている事なのに「誰かにやらされている」という噂が耳に入ってきて悲しくなったこともありました。

身の丈にあった支援を細く長く続けていきたい

Qご苦労の中で、やめたいと思ったことはありますか?
それが一度もないのですよね。絵ハガキを9ヶ月かけて完売した時に「思いが正しければうまくいく」と強く感じました。その思いが今も続いています。それと、この活動を通じて、たくさんの素敵な人に出会えました。ハイチの人々だけでなく、支えてくれるこの方々を裏切ってはいけない、という思いがいつもあります。向こう(ハイチ)にニーズがある限り、今私にできることを精一杯やろうと思っています。

Q今後の抱負をお聞かせください
ハイチは、年々、見た目の豊かさとは逆に貧富の差が激しくなり、都市部のスラム化も進んでいます。私達のしている活動は焼け石に水かもしれない。でも、「(災害等の緊急支援という)何かがあった時だけじゃなくいつでも見守っている目」になりたいのです。これからも身の丈にあった支援を細く長く続けて行きたいと思います。また、私はステキな大人の女性たちに助けられて、ここまで来られたので、今度は、私が応援する側になりたいと思っています。高校で講演をすることがあるのですが、聴いてくれた学生さんたちが「自分も何かしよう」と思った時に、思い出してくれたらと思って話しています。

☆メッセージ☆

まず踏み出してみることです。はじめは、(継続性のない)打ち上げ花火でもいいと思うのです。
まず、打ち上げてみてください。


取材日:平成17年11月13日

ハイチ友の会  http://friendsofhaiti.home.mindspring.com/

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小澤さんのこれまで

1994年、文系大学2年の時、ボランティアで関わったハイチ共和国に興味を持ち、同国を訪ねる。職を求めるハイチの人々の熱意に心を打たれ、1995年に友人と2人でハイチ支援のボランティア組織「ハイチ友の会」を設立し、支援活動を始める。

ハイチの医療支援のため、医師になることを決意。大学卒業後、1年浪人し、医学部に入る。

現在は長野県佐久市の総合病院に勤務。時間のない研修医生活の中、ハイチへの支援活動を続けている。

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