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ページID:124268更新日:2026年2月5日
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迫力満点の野面積み石垣が魅力の甲府城跡。その石を切り出した石切場は、大正時代に庭園として姿を変え、今も当時の面影を残しています。

迫力満点の野面積み石垣が魅力の甲府城跡。これら大量の石は、どこから運ばれてきたのでしょうか?
色んなことが考えられますが、有力なのは以下の二つです。
一つは、甲府城が建つ岩山そのものから採石したという説で、城内には複数の石切場跡が確認されています(遺跡トピックスNo.0397)。
もう一つは、甲府城のすぐ近くにある愛宕山(あたごやま)で、ここでも採石がされていたという伝承が残っています。
実は、愛宕山には現在も石切場跡が残されており、甲府城跡とともに史跡に指定されています。今回は、愛宕山石切場跡(あたごやまいしきりばあと)をご紹介します。
遺跡名:史跡甲府城跡(愛宕山石切場跡)
所在地:甲府市愛宕町85-2ほか
時代:近世・近代
過去のトピックス:甲府城跡(石垣関係)0039、0119、0146、0156、0161、0176、0189、0198、0214、0225、0257、0261、0352、0364、0389、0397、0403、0408、0412、0418、0420、0456、0487、0550
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第350集 2025(令和7)年刊行
調査期間:2022年~2025年
調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
甲府城が建つ岩山や周辺の山々は安山岩からなり、山中では多くの安山岩の転石を見ることができます。
古い絵図には、愛宕山西側付近に「石取り場」と記された場所もあり、現在も大きな石が点在しています。その様子から、石を割らないで石垣に使いやすい石を選んで運び出していたのかもしれません。

愛宕山中の転石のようす
甲府城が造られた頃の採石では、石に「矢穴」と呼ばれる穴を掘り、そこに矢(クサビ)を打ち込んで石を割る方法が用いられていました。
甲府城の石垣には、この方法で割られた跡が残る石や岩盤を確認できます(過去のトピックス:No.0176)。

甲府城跡鍛冶曲輪の石切場跡
矢穴が確認できる場所は甲府城周辺の山中にもいくつかあります。
そのうち、愛宕山西側の山裾にある愛宕山石切場跡は、甲府城に関わる石切場跡とみられています。

甲府城跡と愛宕山石切場跡の位置関係(写真上が北)
現地には、剥き出しの岩盤が広がる迫力ある景観が残されています。
よく観察すると、場所によって石の質が異なることがわかります。
節理(石の割れ目)が多く脆そうな部分には採石の痕跡がなく、節理の少ない硬そうな部分に矢穴が確認できます。
石の質をよく見極めて採石していたことがわかります。
また、岩盤の周辺には石を割った際に生じたと考えられる石の破片がたくさん散らばっています。

脆そうな岩盤

硬そうな岩盤

矢穴列がある岩盤

安山岩の岩盤と石の破片
この場所は、大正時代に甲府の実業家・大木善右衛門が建設した愛宕山荘に伴い、石切場の景観を活かした庭園として整備されました。
母屋から東にある池を眺めるつくりになっており、観月を意識した庭である可能性があります。

池

石橋

愛宕山荘碑

石切場跡であることを記した「園記」
現在見ることのできる地形は、大正時代以降に手が加えられたもので、岩盤・池・平坦地という配置になっています。しかし、もともとはどのような地形だったのでしょうか?
この疑問を解明するため、令和3〜6年度にかけて行った愛宕山石切場跡の調査において、平坦地にトレンチを設けて発掘を行いました。
発掘の結果、地表から約3メートルの深さで岩盤が確認されました。岩盤の上には、大量の石の破片とともに、17世紀末から近代に使用された陶磁器のかけらなどを含む土砂が厚く堆積していました。このことから、現在の池の範囲よりも西側に岩盤がむき出しになった大きな窪地が広がっていたことが明らかになりました。窪地の西側を埋め立てたのが17世紀末以降なのは確実ですが、具体的な時期やその理由は今のところ不明です。
今回の発掘では、採石そのものを示す直接的な痕跡は発見できませんでしたが、かつての地形の一部や近代の土地利用について、重要な情報を得ることができました。
現在、愛宕山石切場跡は非公開ですが、調査成果を踏まえ、将来的な公開を目指しています。
石を切り出した現場と、庭園として整えられた景観の両方を体感できる貴重な史跡として、その価値を今後も広く伝えていきたいと考えています。