トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0364県指定史跡甲府城跡
ページID:50903更新日:2017年5月8日
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県指定史跡甲府城跡一覧
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〔写真〕施工前(左)・施工後(右) 今回施工した謝恩碑西面は、従来の詰石作業を行う石垣よりも変形の度合いがひどく、落石、崩壊の度合いが高い場所です。改善方法としては、石垣の積み直しが一番ですが、工事の予定が決まっていない為、安全対策、石垣の延命処置としての詰石作業を実施しました。 所在地:甲府市丸の内1丁目地内 時代:近世 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 詰石作業・調査謝恩碑西面は、詰石が押し出され浮石となっている石が多い箇所、すでに空洞化していて裏込石材が流出しているなどの症状があげられる為、石と石の設置面積が大きくなるようにできる限り大きめの石を使用し、控えが長い石を選定し石垣の経年変化による変形が進んでも落石の可能性が少なくなるような措置を施しました。 〔写真左〕石垣の清掃作業・〔写真中央〕施工前記録作業・〔写真右〕施工
〔写真左〕空洞化・〔写真中央〕裏栗材の流出・〔図右〕石材の名称 遺物紹介〔写真〕石垣の中から出土した宝篋印塔 今回出土した宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、石垣の詰石として使用されていたもので、高さ21.3×幅24.5×厚み27.5cmを測る基礎部分で、側面の輪郭部に『享禄四□善人禅□十二月十□』と銘が刻まれています。紀年銘は、享禄四(1531)年と推定され、土地利用の歴史から甲府城築城以前の所産で、一蓮寺に代表される寺院などで造立されたものが転用されたと考えられます。甲府城では栗石材として石造物が混入されるケースは見られますが、石垣の部材として利用されるケースはとても珍しい事例です。 また、これまでの調査によって本丸周辺石垣内部から石造物・石塔などが出土する傾向があり、甲府城内からは合計23点の宝篋印塔が出土しています。
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