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ページID:4618更新日:2017年5月8日

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遺跡トピックスNo.0033(日川水制と上流堰堤群)

甲州市の遺跡

  • 0001古婦毛遺跡-埋甕-
  • 0008大木戸遺跡-水晶製石鏃-
  • 0024大木戸遺跡-前期土偶-
  • 0053大木戸遺跡-緑釉陶器-
  • 0143大木戸遺跡-約6,000年前のイエの跡-
  • 0252大木戸遺跡-中期土偶-
  • 0011一ノ坪遺跡-埋甕-
  • 0032勝沼堰堤-砂防堰堤-
  • 0058勝沼堰堤2-水抜き穴-
  • 0078勝沼堰堤3-銘板-
  • 0074勝沼堰堤-砂防学習公園勝沼堰堤見学会報告-
  • 0033日川水制と上流堰堤群-直轄砂防工事-
  • 0064西畑B遺跡-内耳土器-
  • 0071北田中遺跡-古墳時代甕-
  • 0178影井遺跡-羽釜-
  • 0224安道寺遺跡-動物モチーフ付き土器-
  • 0260安道寺遺跡-土偶
  • 0404安道寺遺跡-不思議な形の土器-
  • 0322県指定史跡-武田勝頼の墓-経石-

今から100年ほど前、明治40(1907)年・43(1909)年の夏に大雨が降り、山梨県をはじめ、多くの地域が被害を受けました。その結果、政府は明治43(1910)年に第1次治水計画を策定し、翌年から内務省による富士川流域の直轄砂防工事が始まりました。この砂防工事は昭和初期まで続けられ、日川と御勅使川が対象となりました。日川流域では、平成16(2004)年度に発掘調査を行った勝沼堰堤のほか、勝沼堰堤の下流に水制を74カ所設置し、上流に堰堤を12基建設しました。

 

所在地:甲州市勝沼町・大和町

時代:大正・昭和

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第234集平成18年3月刊行予定

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

日川水制(『水利と土木』より)

〔写真〕昭和初期の水制(『水利と土木』第10巻第7号(昭和12年)口絵より)

日川水制

日川水制は、山間部から甲府盆地に流れ出た日川両岸の74カ所に建設されました。水制は流出した上流の土砂の一部を抑えて水の流れを一定にする目的で建設され、大正4(1915)年に竣功しました。川の流れに対して直角に構築されており、上空から見ると「T」の形をしています。

 

戦後、コンクリートの護岸が建設され、水制が建設された当初の姿を見ることはできませんが、川沿いを歩くと水制の一部を確認することができます。

水制とコンクリート護岸ブドウ畑の中にみえる水制

〔写真左〕水制とコンクリート護岸

中央にみえる石垣が水制ですが、周りの景色と同化しています

〔写真右〕ブドウ畑の中にみえる水制

勝沼町を流れる日川の両岸にあるブドウ畑では、写真のように畑の中に石を敷いたような格好をした水制の一部をみることができます

上流堰堤群

日川水制と勝沼堰堤の効果を維持するため、勝沼堰堤の上流に堰堤を4基建設しました。また、大正12(1923)年9月に起きた関東大震災による山地崩壊の影響で、さらに上流に堰堤を8基建設し、流出した土砂が下流に流れ込まないようにしました。堰堤建設の時期はそれぞれ異なりますが、昭和初期まで行われました。

横吹堰堤全景一之畑堰堤全景

〔写真左〕横吹堰堤(よこぶきえんてい)全景

〔写真右〕一之畑堰堤(いちのはたえんてい)全景

 

横吹堰堤は、勝沼堰堤のすぐ上流に位置する堰堤です。一方、一之畑堰堤は、上流堰堤群の中では上流に位置する堰堤で、日川の支川である曲沢(まがりさわ)にあります。堰堤の大きさや形など、堰堤によって違いがみられます。

 

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