トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNo.553宮窪遺跡-地下深くに埋もれた遺跡-
ページID:126062更新日:2026年9月8日
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現在の地表から2.5mもの深いところから、中世(今から約500~600年前)の人々が使っていた井戸が見つかりました。
この井戸は、笛吹市石和町河内に所在する宮窪遺跡から発見されました。宮窪遺跡は新山梨環状道路建設に伴い新たに確認された遺跡で、令和6年度に本格的な発掘調査が行われました。発掘調査では、室町時代(今から約500~600年前)の集落跡と中世から近代にかけての水田跡が見つかり、当時の人たちの暮らしや土地利用の様子を知るうえで貴重な成果が得られました。
遺跡名:宮窪遺跡(みやくぼいせき)
所在地:笛吹市石和町河内地区
時代:中世~近世
調査主体:山梨県埋蔵文化財センター
報告書:2026『宮窪遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第353集
宮窪遺跡で発見された井戸は、石を積み上げられて作られた「石組井戸」です。大きさは約1.36m×約1.0mで、平面形状は楕円形をしており、井戸の深さは約1.0mになります。井戸の中からは、石積みが崩れ落ちたものと考えられる石が見つかっており、井戸が使われていた当時はもう少し高く積み上げられていた可能性があります。
井戸は崩れてしまっていますが、この土地で中世の人々が生活を営んでいたことを証明する重要な遺構です。
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| (左)発見された井戸 | (右)井戸の中に崩落した石 |
では、なぜ室町時代の井戸が、今の地面から2.5mも深い地下で見つかったのでしょうか。その理由は、この地域で頻繁に発生した洪水と深く関係しています。
宮窪遺跡が所在する笛吹市石和町周辺は、古くから洪水の被害に苦しめられてきた地域として知られています。宮窪遺跡では、中世の集落が営まれていた面の上に厚い土砂が堆積していました。調査の結果、その多くは洪水によって運ばれてきた土砂をもとに形成された水田耕作土であり、中世の集落が廃絶した後から明治時代までの間に、7時期の水田面が重なっていることが分かっています。これは洪水によって土砂が堆積すると、その土地を再び水田として利用し、また洪水が起きると新たな土砂が堆積する、というサイクルが長い年月にわたって繰り返されてきたことを物語っています。
特に明治40年の大水害では、当時の笛吹川(今の平等川)と鵜飼川(今の笛吹川)の流路が変わるほどの大きな被害が発生しました。宮窪遺跡でも現在の地表から約1m地点の深さまでは、洪水砂が厚く堆積しており、このような度重なる洪水によって中世の集落が2.5mも地下に埋もれてしまったのです。
発掘で明らかになった中世の集落跡と、その上に厚く積み重なった水田跡や洪水砂は、洪水の被害と戦いながら、繰り返し土地を耕し続けた人々の営みの歴史を今に伝えてくれます。

現在の地表から2.5m下で見つかった井戸の様子

現在の宮窪遺跡周辺
参考文献
石和町町誌編さん委員会1987『石和町誌 第一巻 自然編歴史編』