トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0247東山南遺跡

ページID:32759更新日:2017年5月19日

ここから本文です。

遺跡トピックスN0.0247東山南遺跡-把手付椀(とってつきわん)-

曽根丘陵公園の遺跡

0028国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業1-
0040国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業2-
0045国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業3-
0096国指定史跡銚子塚古墳-立柱-
0103国指定史跡銚子塚古墳-木製品-
0110国指定史跡銚子塚古墳-火きりんぼう-
0159国指定史跡銚子塚古墳-木-
0318国指定史跡銚子塚古墳-鼉龍鏡-
0335国指定史跡銚子塚古墳-立柱2-
0374国指定史跡銚子塚古墳-壺形埴輪-
0407国指定史跡銚子塚古墳-突出部と周濠区画帯-
0391国指定史跡大丸山古墳-雪におおわれた前方後円墳-
0126稲荷塚古墳-銀象眼大刀-
03334月の中道古墳群-
0388かんかん塚古墳-県内最古の馬具-
0067立石遺跡-山梨最古の旧石器-
0211上の平遺跡-方形周溝墓群-
0299上の平遺跡-地震の痕跡-
0097東山北遺跡-火打ち金-
0192東山北遺跡-方形周構墓-
0290東山北遺跡-ウマの歯と骨-
0353東山北遺跡-鉄製品-
0247東山南遺跡-把手付椀-
0414鍋弦塚と『東山の碑』-

東山南遺跡出土把手付椀の写真

ペアのコーヒーカップ?いえいえ、今から1,600年ほど前の焼き物です。
今回はこの焼き物と、作られた時代背景を紹介します。

東山南(ひがしやまみなみ)遺跡

東山南遺跡と周辺遺跡の空撮写真

東山南遺跡は、考古博物館・埋蔵文化財センターのある甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園のほぼ中央部、風土記の丘研修センターの東側から北側にかけて広がる遺跡で、標高340mの台地上に位置しています。公園の整備事業に伴い、1981(昭和56)年の調査区をA地区、1989(平成元)年と1990(平成2)の調査区をB地区とに分けて調査が行われています。
この遺跡では、弥生時代後期から古墳時代中期にかけての遺構・遺物が発見されていますが、中でも古墳時代中期(今から1,600年前)のお墓がまとまって発見されたことは、上の平遺跡、甲斐銚子塚古墳、丸山塚古墳に代表されるこの一帯の、その後の歴史を明確に物語っています。

  • 所在地:甲府市下向山町(旧中道町)
  • 時代:弥生時代・古墳時代
  • 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第64集1991(平成3)年、第76集1993(平成5)年
  • 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

東山南遺跡の遺構全景写真

東山南(B)遺跡の円形周溝墓(手前が1号墓、奥が2号墓)

年代の「ものさし」-須恵器(すえき)-

東山南遺跡では、5世紀前半から後半にかけて大阪府南部の陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)で焼かれた灰色をした須恵器(すえき)が何点か見つかっています。
日本の土器生産の技術は、縄文土器・弥生土器の技術を受け継ぎ、古墳時代以降は土師器(はじき)と呼ばれていますが、古墳時代も中期(今から1,600年前)になると、ヤマト王権直轄の陶邑窯跡群で生産された須恵器が全国各地へ運ばれ、大きな影響を及ぼすようになります。そして、土師器に比べると地域差が少なくいことなどから、日本の考古学では5世紀から7世紀代のまさに年代の「ものさし」として広く用いられています。
なお、山梨県内で最も古い須恵器は、米倉山B遺跡から出土した大きな甕(かめ)であることがわかっています(トピックスNo.0185)

 

東山南遺跡の遺物出土状況写真

東山南(A)遺跡K-4号方形周溝墓の土器出土状況(右端が把手付椀)

 

 

東山南遺跡出土把手付椀の写真

 

東山南遺跡出土の須恵器把手付椀

 

 

(手前が東山南(A)遺跡K-4号方形周溝墓出土、奥が東山南(B)遺跡1号円形周溝墓出土)

 

須恵器にはさまざまな器(うつわ)の種類があり、これらの用途は基本的に実用の容器とお墓での葬送儀礼(そうそうぎれい)の際に使われたものとに分けることができます。
しかし、初期の須恵器の場合、古墳や他の遺跡から出土するものはほとんどすべての種類にわたっており、日常生活用とまったく区別がありません。これが古墳時代後期の6世紀代に入ると、高杯(たかつき)など一部の器種を大量に副葬するようになります。
東山南遺跡でのお墓から出土した把手付椀ほかの須恵器は、葬送儀礼の後に割られ、溝に廃棄されていました。
一方で、この遺跡では弥生時代後期の方形周溝墓と、5世紀中頃から後半にかけて大阪で作られた古い須恵器を伴った直径25メートル前後の新しいタイプの円形周溝墓が相次いで発見されています。同じ公園内の岩清水遺跡でも円形周溝墓から5世紀後半の須恵器が出土しています(トピックスNo.0016)。そして、旧中道地域では、弥生時代以来の伝統的な方形周溝墓は5世紀後半の須恵器把手付椀が出土した東山南(A)遺跡K-4号方形周溝墓を最後に造られなくなります。
古墳時代中期の山梨は、前期のような100メートルを超える大型前方後円墳はなくなり、中・小規模のさまざまなタイプのお墓が造られるようになります。それは、ヤマト王権との関係を背景にした、伝統と新たな勢力が交錯する葛藤の時代にほかなりません。

今回紹介した把手付椀を含む須恵器は、考古博物館常設展において展示中です。それにしてもこのカタチ、現代の作品だといわれても、何の不思議もありません。

 

 

次の遺跡トピックスへ遺跡トピックス一覧へ一つ前の遺跡トピックスへ

山梨県埋蔵文化財センタートップへ



このページに関するお問い合わせ先

山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

このページを見た人はこんなページも見ています

県の取り組み

pagetop