トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.500 原町農業高校前遺跡の土偶付土器
ページID:91441更新日:2019年9月9日
ここから本文です。
北杜市の縄文時代遺跡
0002甲ッ原遺跡-埋甕-2005年5月25日~2005年6月1日 0009横針前久保遺跡-石器-2005年7月13日~2005年7月19日 0018金生遺跡-中空土偶-2005年9月14日~2005年9月20日 0031天神遺跡-硬玉製大珠-2005年12月14日~2005年12月21日 0050天神遺跡-石匙-2006年5月24日~2006年6月8日 0236天神遺跡-日本最古のヒスイのペンダント-2010年5月6日~2010年5月12日 0336天神遺跡-集落跡-2012年5月2日~2012年5月8日 0057丘の公園第2遺跡-石器-2006年7月19日~2006年7月25日 0134丘の公園第2遺跡ほか-陥し穴-2008年3月19日~2008年3月26日 0075原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月13日~2006年12月20日 0076原町農業高校前遺跡-縄文土器-2006年12月20日~2006年12月28日 0109原町農業高校前(下原)遺跡-陥し穴-2007年8月29日~2007年9月4日 0115原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2007年10月18日~2007年10月24日 0137原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-2008年4月23日~2008年4月29日 0094清里バイパス第1遺跡-陥し穴-2007年5月9日~2007年5月16日 0112海道前C遺跡-人面装飾付土器-2007年9月19日~2007年9月26日 0254海道前C遺跡-抽象文土器-2010年9月8日~2010年9月14日 0138甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居-2008年4月30日~2008年5月7日 0142金生遺跡-耳飾り-2008年5月28日~2008年6月4日 0169甲ッ原遺跡-石皿とすり石-2008年12月3日~2008年12月10日 0212甲ッ原遺跡-琥珀垂飾について-2009年10月28日~2009年11月5日 0294甲ッ原遺跡-漆が塗られた土器片-2011年7月6日~2011年7月12日 0405甲ッ原遺跡-特殊脚付鉢-2014年10月29日~2014年11月25日 0226塩川遺跡-中世の調理器具-2010年2月17日~2010年2月24日 0473塩川遺跡-江戸時代の死者の眠り方-2017年10月20日~2017年11月28日 0237酒呑場遺跡-マメの圧痕-2010年5月13日~2010年5月18日 0308酒呑場遺跡-火焔型土器-2011年10月12日~2011年10月19日 0316酒呑場遺跡-産まれる縄文人-2011年12月7日~2011年12月12日 0319酒呑場遺跡-海へのあこがれ-2011年12月28日~2012年1月4日 0239甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居跡と土器-2010年5月26日~2010年6月1日 0271金生遺跡-鉄釉兎形水滴-2011年1月5日~2011年1月11日 0272中込遺跡-絡条体圧痕文土器-2011年1月12日~2011年1月18日 0315郷蔵地遺跡-敷石住居-2011年11月30日~2011年12月6日 0323金生遺跡-縄文ランドスケープ-2012年1月25日~2012年2月1日 0328酒呑場遺跡-酒呑場遺跡で見つかった『謎』の土器片-2012年2月29日~2012年3月6日 0399酒呑場遺跡-豊かな縄文時代中期文化を代表する683点の出土品-2014年8月6日~2014年8月19日 0338柳坪遺跡-縄文時代中期の土器-2012年5月15日~2012年5月24日 0377丘の公園14番ホール遺跡-長大な石槍で狩りをする人々の15000年前の石器作り工房跡-2013年7月24日~2013年8月7日 0380日影田遺跡-住居跡と炉-2013年9月11日~2013年9月26日 0423横森赤台遺跡-五輪塔を伴う中世のお墓-2015年8月20日~2015年9月1日 0485甲ッ原遺跡の獣面把手土器~水煙把手土器 0491原町農業高校前遺跡「壊すのがお好き」2019年2月~2019年3月5日 0500原町農業高校前遺跡 原町農業高校前遺跡の土偶付土器 2019年9月6日~2019年9月20日 |
原町農業高校前遺跡の概要原町農業高校前遺跡は、北杜市長坂町の八ヶ岳南麓に立地した縄文時代中期の集落跡です。平成12年から15年に3次にわたる発掘調査が実施されました。平成13年の2次調査は、発掘面積14,000平方メートルとなる大規模な発掘調査となり、縄文時代を専攻するベテラン職員を筆頭に2班体制で一年間かけて発掘し、報告書刊行まで2年の整理期間を要しました。 調査の結果、縄文時代の中期中葉となる勝坂式期を中心とした集落で、住居跡が99軒、土坑は1,000基以上みつかりました。なかでも穴に土器が横たえられて埋設されていたり、人面が土器の縁に装飾された土器や、欠損部のない小型で完形のコップ形土器が掘り出されたりしたのが特筆されています。
詳しくはこちらをご覧ください。遺跡トピックスNo.075、No.076、No.0109、No.0112、No.0137。 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書221集2005年『原町農業高校前遺跡(第2次)』
人面装飾付き土器この土器は、実はこの遺跡トピックスNo.0137ですでに紹介されています。人面装飾は、縄文人がイメージした繁栄や豊かさを表す女神の姿であって、数も少ないことからこうした土器はお祭りなど特別な場合の食べ物をつくるときに用いられたと考えられる、としています。 実はこの土器、フチに一つだけ突起がついていて、内側をみると人の顔が描かれているので、人面が突起となって装飾されたものが付いている土器となるのですが、よくみるとその下につづく文様は人面につづく胴体のようにも思われます。胴体のような文様は、頸から半円形の隆起した文様が左側に斜めに下がって描かれ、この側面には円文と三角文が描かれています。ただ胴体には手も足も描かれているようすはありません。どういうことでしょうか。
半円形の胴体は、同じ時期の“抽象文”とよばれるヘビのような意匠に似ています。抽象文は、口を開けた頭部、半月形となる太った胴部、しっぽ、からなる文様で、ヘビ、ミズチ、サンショウウオ、イルカとも、いろんな見かたがあります。その特徴からしてヘビのマムシと考えてよいでしょう。この抽象文の胴体には、円文と三角文が付くことがあります。原町農業高校前遺跡にもこの抽象文のつく土器が出土していて、胴部に円文と三角文が付くことがあります。韮崎市石之坪遺跡にはもっとわかりやすく、円文と三角文が付いています。ですから原町農業高校前遺跡の人面装飾付土器の胴体が、抽象文の胴部と同じようにヘビとすると、頭が人面で胴体がヘビという人頭蛇体であるといえます。でも、そんなこわい神様がいるのでしょうか。
左: 原町農業高校前遺跡出土品 右:石之坪遺跡出土品(韮崎市教育委員会編2000『石之坪遺跡(東地区)』
人面蛇体の神様人間の顔をして体がヘビとなる神様は、中国の古典に、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)が知られています。伏羲は単独で、網を発明し漁を人間に教えたり、火をおこして肉を料理する術や楽器の発明、女媧と結婚して婚礼の制度を定めたなど文化創造の神話が伝えられています。女媧はもともと単身で、黄土をこねて人間をつくったとする人類創造の神話が伝えられています。いずれも人類や文化の創造の神として中国神話に登場します。 ギリシャ神話にエリクトニオスという神様がいて、大地から生まれたため下半身がヘビとなっています。移動のために戦車を発明して活用したらしく、星座のぎょしゃ座となっていることで有名です。またケクロブスはアッティカの王で、これまた大地から生まれて下半身がヘビとなっています。人身御供や動物供犠をやめ、法定の整備、文字教育、一夫一婦の婚姻制度、葬礼などの文化制度を整えたことで知られています。 世界の半人半蛇の神様は、大地から誕生し、人間そのものや文化をつくりあげています。ただ日本神話にはこうした神様は存在しません。縄文時代は、中国神話やギリシャ神話より遠い昔のことですが、同じ意味合いであったのかもしれません。しかし縄文時代にもすでに半人半獣という空想ともいえる架空の生き物が描かれるというその想像力には驚かされます。もしかしたらこの土器に秘められた物語は、神様が土器料理の仕方を教えてくれたとか、いろいろな文化をもたらしてくれたことであって、こうしたことを感謝するお祭りに使われたのかもしれません。この土器はいまも各地の商業施設なんかの展示会に出かけていって、多くの人たちに新しい文化の向上発展への創造をもたらしてくれます。
多くの人の目を引く原町農業高校前遺跡の土器(千葉県イオン津田沼にて)
|