原町農業高校前遺跡(はらまちのうぎょうこうこうまえいせき)
原町農業高校前遺跡は、標高約620mをはかる八ヶ岳南麓の尾根上にあります。今から約4.500年前の縄文時代中期に比定される住居跡が100軒以上検出された当時の大規模な集落跡で、高等学校建設に先立ち3次にわたる発掘調査が行われました。
詳しくはこちらをご覧下さい。遺跡トピックスNo.0075(原町農業高校前遺跡)、遺跡トピックスNo.0076(原町農業高校前遺跡)、No.00109(原町農業高校前遺跡)

南から原町農業高校前遺跡を望む。背後の山は八ヶ岳
所在地:北杜市長坂町渋沢・塚川地内
時代:縄文時代中期・後期、古墳時代、平安時代
報告書:
- 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第210集2001(平成13)年刊
- 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第219集2003(平成15)年刊
- 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第221集2005(平成17)年刊
山梨県埋蔵文化財センター
人面装飾付土器の用途は?
原町農業高校前遺跡では住居跡のほか土坑が1.000基以上も検出されています。今回紹介する人面装飾付土器は左下の写真のとおり、土坑の底から出土しました。


上の写真が、出土した人面装飾付土器を復元したもので、その器形はバケツのような形をしています。この形は縄文時代を通じて最も一般的にみられる器形で、深鉢といわれるものです。
深鉢形土器は、その主たる用途が食料を煮炊きするために用いられたと考えられており、この人面装飾付土器も同様の用途が想定されます。ただ、人面装飾が施される深鉢形土器の出土量は同時期の一般的な深鉢形土器と比べ大変少なく、特殊な土器であったことがわかります。人面の装飾自体、縄文人がイメージした繁栄や豊かさを表す女神の姿と考えられていることから、そのような象徴的装飾を施した土器を用いて食べ物を作る時を想像すると、お祭りなど特別な場合の食べ物を作る時に用いられた土器と考えられます。なお、前回紹介した人面装飾付土器と比べ、今回紹介した例はその顔つきが若干異なっています。それは、今回紹介したものの方が時期的に古い時代に作られたためと考えられます。
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