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更新日:2016年2月25日

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遺跡トピックスNo.323国史跡金生遺跡(きんせいいせき)〔北杜市〕

北杜市の遺跡

0002甲ッ原遺跡-埋甕-
0009横針前久保遺跡-石器-
0018金生遺跡-中空土偶-
0031天神遺跡-硬玉製大珠-
0050天神遺跡-石匙-
0336天神遺跡-集落跡-
0057丘の公園第2遺跡-石器-
0134丘の公園第2遺跡ほか-陥し穴-
0075原町農業高校前遺跡-縄文土器-
0076原町農業高校前遺跡-縄文土器-
0109原町農業高校前(下原)遺跡-陥し穴-
0115原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-
0137原町農業高校前遺跡-人面装飾付土器-
0094清里バイパス第1遺跡-陥し穴-
0112海道前C遺跡-人面装飾付土器-
0254海道前C遺跡-抽象文土器-
0138甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居-
0142金生遺跡-耳飾り-
0169甲ッ原遺跡-石皿とすり石-
0212甲ッ原遺跡-琥珀垂飾について-
0294甲ッ原遺跡-漆が塗られた土器片-
0405甲ッ原遺跡-特殊脚付鉢-
0226塩川遺跡-中世の調理器具-
0236天神遺跡-日本最古のヒスイのペンダント-
0237酒呑場遺跡-マメの圧痕-
0308酒呑場遺跡-火焔型土器-
0316酒呑場遺跡-産まれる縄文人-
0319酒呑場遺跡-海へのあこがれ-
0239甲ッ原遺跡-縄文時代前期初頭の住居跡と土器-
0271金生遺跡-鉄釉兎形水滴-
0272中込遺跡-絡条体圧痕文土器-
0315郷蔵地遺跡-敷石住居-
0323金生遺跡-縄文ランドスケープ-
0328酒呑場遺跡-酒呑場遺跡で見つかった『謎』の土器片-
0399酒呑場遺跡-豊かな縄文時代中期文化を代表する683点の出土品-
0338柳坪遺跡-縄文時代中期の土器-
0377丘の公園14番ホール遺跡-長大な石槍で狩りをする人々の15000年前の石器作り工房跡-
0380日影田遺跡-住居跡と炉-

北杜市大泉町にある金生遺跡は、縄文時代後晩期の配石をともなう集落です。中央自動車道の長坂インターから北へ自動車で5分ほどのところで、八ヶ岳の南麓、標高770m程の高原にあります。この地域では、まれな縄文時代後晩期の大きな集落として、昭和58年に国史跡となりました。遺跡は公園として整備され、復元された住居や東西にならぶ配石をみることができます。ここからははるか南の甲府盆地のむこうがわに富士山、東に茅ヶ岳、西には主峰の甲斐駒ヶ岳・鋸岳をみることができる景色のよいところです。

323金生遺跡冬至日の出

金生遺跡の配石と冬至の茅が岳からの日の出

金生遺跡の配石とお祭り

金生遺跡の配石はお祭りの場であったことがわかっています。この配石は、一人でかかえるのがやっとの大きさの石をたくさんならべられたものです。なかには、はるか5kmほど離れた釜無川からもちこまれた石もありました。この遺跡に暮らしていた人ばかりでなく、他のムラの人たちもたずさわっていたと思われます。しかし一年中運んでいるわけではなく限られたときにつくっているものでしょう。そしてそれは100年以上もながく、いつ完成するわけでもないまま続けられていました。つまりは縄文時代の記念物としてつくられ続け、ここでお祭りを行っていたのです。

金生遺跡の日の入り

この前の冬至の翌日、12月23日(平成23年)に北杜市で縄文王国山梨のイベントとして金生遺跡で日没を観察する会が開かれました。北杜市考古資料館で「山と縄文遺跡」の講座のつづきで、十数人が参加しました。

当日は天気にも恵まれ金生遺跡から観察すると西にそびえる甲斐駒ヶ岳(2967m)の山頂に日が沈んでいくのが観察できました。澄みわたった西の空の太陽は、なかなか山に近づかないのですが、甲斐駒ヶ岳の山頂にかかると吸い込まれるようあっというまに沈んでしまいました。まわりを見ると数100m離れたところではまだ日が当たっています。まさにこの遺跡があるところだけ甲斐駒ヶ岳山頂の日没と共に日が暮れます。

冬至の日の朝は東側の茅が岳山頂ではなく南側裾野からの日の出となります。ちょっとずれています。

金生冬至日没

金生遺跡の冬至の甲斐駒ヶ岳への日没

金生冬至日没01

金生冬至日没02

金生冬至日没03

金生冬至日没04

金生冬至日没05

撮影:平成23年12月23日、金生遺跡から

金生遺跡から見える日の入りはこれ以上南へはいかず、甲斐駒ヶ岳を南限として以後北へ日没地点を移していきます。だいたい10日ごとに鋸岳の山頂と谷間への日没を繰り返していきます。そして夏至を北限として、その中間が春分、秋分となります。この冬至、夏至、そして春分、秋分を二至二分といい、世界中どこでもこの日は同じになり、各地でお祭りが催されています。

春秋分の日没はこれといって特徴のないところに日が落ちます。しかし、そのとき振り返って自分の影の延びる方向を見ると、東の金峰山山頂へ向かっています。それは配石の中にある石を立てた影の延びる方向です。日没方向だけでなく、そのときの影の延びる方向は日時計のように遺跡の中に表現されているかのようです。

金生春分日没

金生遺跡の春分の日没

金生春分日没の影

春分の日没でできる影の先には金峰山がある

縄文ランドスケープ

金生遺跡ではまさに冬至の日没が甲斐駒ヶ岳と一致しており、その場所にムラを定めていると言えるでしょう。そして石を並べたり立てたりする記念物によって一年の暦を刻んでいるようです。こうした事例は都留市の牛石遺跡ストーンサークルでも確認されており、春秋分に三ツ峠山山頂に日が落ちることが知られています。

1年に一回しか観察する機会がありませんし、天候によっては見られないこともあります。にもかかわらず縄文時代の人たちはそうした特異な場所に記念物をつくっています。遺跡からみえる景色を見て、他にどんなことがあるのか観察してみると新しい発見があるかもしれませんね。遺跡の夜にはどんな星空がひろがっているのでしょうか。

 

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