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ページID:99614更新日:2021年6月3日

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遺跡トピックスNo.0521甲府市加牟那塚古墳(甲府市)~この破片の持ち主はだれ?~

 

甲府市の遺跡

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加牟那塚古墳

 加牟那塚(かむなづか)古墳は、甲府市千塚にある6世紀後半に造られた円墳です。全長16.75m、高さ約3mという県内で2番目の規模の横穴式石室をもっています。普段は鍵がかかっていて石室には入れませんが、外から見てもその大きさを体感することができます。

 昭和43年には県の史跡に指定され、その翌年の昭和44年に行われた古墳周辺の石垣の補修工事では、石垣の内側から円筒埴輪や形象埴輪などが見つかりました。

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図1加牟那塚古墳

所在地 甲府市千塚

時代 古墳時代後期(6世紀後半、今から約1500年前)

報告書 山梨県教育委員会2005『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第226集 山梨県指定史跡 加牟那塚古墳』 

過去の遺跡トピックス No.0383 加牟那塚古墳[甲府市] 

埴輪ってなあに?

 埴輪には、大きく分けて2つの種類があります。筒状の円筒埴輪と家・盾などの器財やさまざまな人物、動物をかたどった形象埴輪です。

 埴輪は、弥生時代に使われた、お墓にお供えをするための壺とそれを乗せる台から変化したといわれています。3世紀後半になると、円筒埴輪や壺形埴輪、朝顔形埴輪などを古墳の周りや墳頂部に並べるようになります。これは、古墳に悪い物を寄せ付けないためであったと考えられています。

 4世紀の中ごろになると、円筒埴輪に加えて家や盾、甲冑などをかたどったものや、鳥などの動物の形の埴輪がつくられるようになります。家形埴輪は、葬られた人が亡くなった後に暮らす場所を表しているという説があります。山梨県の4世紀に造られた古墳では、甲府市の銚子塚古墳や笛吹市の岡・銚子塚古墳などから円筒埴輪や壺形埴輪などが見つかっています。

 5世紀になると巫女、力士などをかたどった人物埴輪がつくられるようになります。この埴輪たちは、一説では、王が生きていたときに行っていた儀式やまつりを表すように並べられ、王の権威を示すと考えられています。5世紀後半に造られた市川三郷町の大塚古墳では、円筒埴輪や人物埴輪が見つかりました。

 6世紀には、馬や犬などの動物を表した埴輪が多くつくられるようになります。特に、馬は当時の人々にとって権威の象徴で、豪華な装飾の馬形埴輪がつくられました。加牟那塚古墳からも馬形埴輪の一部が見つかっています。

 このように、埴輪には、それぞれに役割があり、まとまって古墳に立てられて魔除けや権威の示す役割を果たしたり、まつりの様子などを表したりします。つまり、埴輪はたくさん並べられることに意味があったのです。

 7世紀になり前方後円墳が造られなくなるとともに埴輪もつくられなくなっていきます。山梨県では、6世紀末には埴輪が並べられなくなったと考えられ、このころに造られた古墳には笛吹市の稲荷塚古墳があります。

加牟那塚古墳の埴輪

  加牟那塚古墳からは、円筒埴輪をはじめ、馬形埴輪、大刀形埴輪などのさまざまな埴輪が見つかっています。図2は、6世紀の円墳である群馬県の下條2号古墳に並べられた埴輪の復元図です。加牟那塚古墳も、かつてはこんな風に埴輪が並べられていたのかも知れません。

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図2埴輪の並べ方復元図(群馬県神保下條遺跡)

(群馬県埋蔵文化財調査事業団1992に当センターで加筆)

 

 見つかったのは破片ですが、それぞれの破片から埴輪の全体像を推測することができます。今回は、この写真の埴輪に注目します。

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図3上から見た埴輪

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図4横から見た埴輪

 それでは問題です。この埴輪は何をかたどったものでしょう?先がとがった形に注目して考えてみてください。

 答えは…人です!!

 この破片はその中でも足先、履物の先の部分です。窯で焼かれているため、しっかりとしたつくりをしています。作るときに使った木の板でできた工具でつけられたハケ目が残っています。さらに側面は、赤い色で塗られ、図4の丸で囲った部分のようにとがったものでつけた文様(刺突文)が等間隔についているのが分かります。この文様は、革で作られた履物の縫い目をあらわしていると考えられます。こんなに細かい部分まで表現されているなんて、驚きですね。

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図5埴輪の裏側

  埴輪の裏側も見てみましょう。埴輪は古墳の上に並べるために台(基部)の上に乗っています(図7~9)しかし、この履物の裏側には基部からはがれた痕がありません。これは、履物の先の部分が基部からはみ出してつくられているためです。

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図6加牟那塚古墳の埴輪の実測図(山梨県教育委員会2005より)

 

 では、この履物はどんな埴輪の一部だったのでしょうか。

 人物埴輪の中でも、履物を履いた様子が表されているのは、きれいな服装の男性や甲冑を着た武人などの男性をかたどったものです。加牟那塚古墳と同じ6世紀後半に造られた群馬県の綿貫観音山(わたぬきかんのんやま)古墳から出土した人物埴輪や、東京国立博物館が所蔵する群馬県太田市出土の挂甲武人埴輪などが例にあげられます。どちらも国宝に指定されています。
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図7綿貫観音山古墳の武人埴輪 図8綿貫観音山の盛装男子埴輪

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図9綿貫観音山の武人埴輪(図8)の履物

 図7~9(群馬県埋蔵文化財調査事業団 1998に当センターで加筆)

 

 

加牟那塚古墳の埴輪がどのような姿をしていたのか、同じ時期につくられた綿貫観音山古墳の人物埴輪を詳しく見て考えてみましょう。

 

 まずは武人埴輪(図7)から。この埴輪は、小札でできたヨロイを身につけ、大刀を腰からさげています。足にも小札の臑当てをつけ、手には籠手をつけています。顔や小札は赤く塗られています。履物は先がとがった形をして、短冊状の文様(小札?)が描かれており、赤く塗られています。側面には加牟那塚古墳の埴輪と同じように縫い目が表されています。

 次に、盛装男子の埴輪を見てみましょう(図8)。真ん中から左右に分けた髪型がおしゃれですね。下側の髪の毛は折り返すように結った下げ美豆良(みずら)です。首飾りをして、大刀を腰から下げています。腰の帯には鈴がついています。服は腰まで丈がある長いもので、服の合わせを粘土と線、刺突文で表現しています。この服の裾にも鈴がついています。また、膝の上あたりが大きく膨らんだ形の服を履いています。

 加牟那塚古墳から見つかった埴輪も、このような姿をしていたのかもしれません。また、履物の破片以外にも、服の裾を表したと考えられる破片も見つかっています。同じ人物の一部であるかはわかりませんが、埴輪の全体像を知る手がかりになります。

このように、遺跡から見つかるものは破片が多いですが、他の地域や同じ時代の遺跡から見つかったものを手がかりに、当時の姿を推測できます。

 

図版引用

図2(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団1992『(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘調査報告書第137集 関越自動車道(上越線)地域埋蔵文化財発掘調査報告書第11集 神保下條遺跡』

図6山梨県教育委員会2005『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第226集 山梨県指定史跡加牟那塚古墳』

図7~9群馬県埋蔵文化財調査事業団1998『(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団発発掘調査報告書第242集 綿貫観音山古墳1.墳丘・埴輪編』

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