トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 遺跡トピックスNo.549笠木地蔵遺跡
ページID:122570更新日:2025年10月3日
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笛吹桃源郷で知られ、のどかな果樹園が広がる笛吹市一宮町ですが、かつてここに一大集落が形成された時代がありました。
山梨県を横断している中央自動車道。この道路の建設に先立って、たくさんの遺跡が発掘調査されました。一宮町では、昭和55年(1980)から昭和56年(1981)にかけて、中央自動車道の工事に伴い、多くの遺跡で発掘調査が行われています。その中の一つに笠木地蔵遺跡があります。
遺跡名:笠木地蔵遺跡(かさぎじぞういせき)
所在地:山梨県笛吹市一宮町国分
時代:奈良時代、平安時代、中世(約1300年前から約700年前)
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第12集、1985(昭和60)年刊行
調査期間:1980年2月1日~1980年8月15日、1981年3月1日~1981年4月30日
調査機関:山梨県教育委員会(後の山梨県埋蔵文化財センター)

笠木地蔵遺跡の全景
笠木地蔵遺跡では奈良時代から中世までの土器や建物跡が見つかりました。この遺跡の北側には甲斐国分寺跡があるなど、この地域には縄文から中世までの多くの遺跡が存在しています。

笠木地蔵遺跡で確認された掘立柱建物跡
この笠木地蔵遺跡では大きな平たい石が1つ入った穴がいくつも見つかりました。上の写真のように、どの穴の中の石も、平たい面を上にして置かれています。そして、その穴はきれいに並んで見つかりました。これらの特徴から、この穴の正体は建物を支える柱を立てるための穴だと判断されます。こういった穴(柱穴)を掘ってその中に柱を立てるタイプの建物を掘立柱建物と呼びます。柱を柱穴にそのまま建てることもあれば、笠木地蔵遺跡のように、各柱穴の底に石や板を平らに敷いて、その石の上に柱を立てる場合もありました。
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| 掘った穴に置かれた石 |
このように沈下防止のために穴の中に置かれた石のことを、私たちは礎板(石や角型の板がある)と呼んでいます。
笛吹市一宮町では笠木地蔵遺跡の他にも、平安時代末から鎌倉時代初頭の遺跡が発掘調査されています。
中央自動車道の建設に関連する中には、笠木地蔵遺跡の他に北堀遺跡、東新居遺跡が発掘されました。特に北堀遺跡では、住居だけでなく石組遺構や墓坑も見つかっています。また、笠木地蔵遺跡の北で国道20号沿いにイッツモア一宮ショッピングセンターがあります。その建設に伴って西田町遺跡が発掘調査され、平安時代末から中世初頭ごろの建物跡が多数見つかりました。ここでは当時高価であったと考えられる貿易陶磁も大量に出土したことから、この地域で力を持っていたことが想定され、開発領主であったとも考えられています。

笠木地蔵遺跡及びその他遺跡や寺社の位置【国土地理院撮影の空中写真(2015年撮影)に加筆】
現在、山梨県埋蔵文化財センターでは中央新幹線(リニア)建設に伴う発掘調査を順次進めています。その発掘調査でも中世の遺跡を確認、調査しています。これまで甲府盆地の低地では、中世の遺跡は山梨県内からはあまり確認されてきませんでした。しかし、これから甲斐国の中世の様子が徐々に明らかになってくることが期待されます。
参考文献
一宮町誌編纂委員会1967『一宮町誌』
山梨県教育委員会1984『豆塚遺跡・東新居遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告第4集
山梨県教育委員会1985『北堀遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告第7集
西田町遺跡発掘調査団1997『西田町遺跡調査報告書』
山梨県2004『山梨県史 資料編7 中世4 考古資料』