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更新日:2019年12月5日

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遺跡トピックスNo.505_宮沢中村遺跡 -川を流れる材木-

南アルプス市の遺跡

  • 0006十五所遺跡-方形周溝墓-
  • 0010大師東丹保遺跡-網代-
  • 0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
  • 0149大師東丹保遺跡-木製品-
  • 0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
  • 0259大師東丹保遺跡-下駄-
  • 0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
  • 0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
  • 0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
  • 0017二本柳遺跡-木棺墓-
  • 0122二本柳遺跡-福寿院跡-
  • 0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
  • 0276二本柳遺跡-火きり臼-
  • 0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
  • 0051仲田遺跡-田んぼ-
  • 0052百々遺跡-八稜鏡-
  • 0065百々遺跡-錘-
  • 0066百々遺跡-馬の骨-
  • 0101百々遺跡-洪水の跡-
  • 0136百々遺跡-浄瓶-
  • 0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
  • 0269百々遺跡-黒色土器-
  • 0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
  • 0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
  • 0081油田遺跡-田んぼと木製品-
  • 0144油田遺跡-木製竪杵-
  • 0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
  • 0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
  • 0409釜無川堤防跡遺跡-
  • 0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
  • 0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
  • 0241村前東A遺跡-手焙形土器-
  • 0250村前東A遺跡-住居跡-
  • 0286村前東A遺跡-S字甕-
  • 0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
  • 0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
  • 0168新居道下遺跡の住居跡-
  • 0216長田口遺跡の鏡片-
  • 0340向河原遺跡-水田跡と杭列-
  • 0409釜無川堤防跡遺跡-
  • 0468百々遺跡-土層の剥ぎ取り-

宮沢中村遺跡の概要

 宮沢中村遺跡は、南アルプス市宮沢(旧甲西町)字東宮沢に位置する、中世~近世にかけての集落遺跡です。遺跡の名称は、かつてこの場所に所在した、宮沢集落の中村地区があったことに由来します。この宮沢集落は、度重なる水害を受けて明治年間に全村移転した履歴があります。発掘調査では、江戸時代後期を中心として、鎌倉時代~明治時代の遺跡が見つかりました。

 旧宮沢集落は、駿信往還の荊沢宿と市川代官所をつなぐ市川道の沿線にある集落で、荊沢宿を南下すると富士川舟運の拠点である鰍沢河岸があります。近世以降の甲斐国の経済を支えた物流の要衝としての地域を取り巻く集落像や中世から近世にかけての集落形成過程の一端が、宮沢中村遺跡の発掘調査成果から明らかとなりました。

 

所 在 地:山梨県南アルプス市宮沢字東宮沢

時  代:鎌倉時代~江戸時代後期

報 告 書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第181集『宮沢中村遺跡』

調査機関 :山梨県埋蔵文化財センター

出土した柱材について

 今回着目するのは、調査区の一部で見つかった第4面遺構面と呼称される建物群の柱材です。この遺構面で検出した柱穴から出土した陶磁器類から、中世末~江戸時代初頭頃の遺構であることがわかりました。

 さて、60基近い柱穴が見つかった第4面建物群ですが、その柱穴のうち15基には柱材が残っていました。この柱材の中には、太さ15cm(5寸)という大きさで断面六角形を呈する柱材がありました。隣接する大師東丹保遺跡では、太さ12cm(4寸)で面取り(柱の角を削り、角をとる加工)された柱材が出土し、その周辺からは斎串(いぐし)という水辺のまつりに関わるとされる祭祀具や扇や青磁、硯などが見つかったことから、支配層の存在が指摘されています。このことからも、宮沢中村遺跡で見つかった柱材は通常の民家建築に用いられたものではないと考えられています。

上図 第4面建物跡群検出状況

 材木の来た道

 今一度、出土した柱材を観察してみると、柱材の底に近いところに、四角い孔が空いているものがあります。この孔は「筏穴(いかだあな・「エツリ穴」とも)」と呼ばれ、材木を山から下ろして川を伝って材木を運ぶときに、材木同士を縄で結束して筏にするための孔です。

006_材木 

上図 いかだ穴が残された柱材(第4面建物跡群柱穴出土)

 

 幅の広い河川では、木材を流したときに散乱してしまったり、盗まれたりしてしまう危険性があります。こうした危険を取り除くために、筏状に材木を結束して遠方の消費地まで運ぶ「筏流し」と呼ばれる運材技術が使われるようになりました。宮沢中村遺跡で見つかった柱材は、川幅が広い河川を使って運搬されたものと考えられます。

 また、文献資料からも、中世末~近世初頭頃にかけての川を使った運搬の記述があります。加藤光泰が発した黒印状(年不詳5月16日)には、

「其郷伐置候石柱如前々近郷江申付候、筏に而引上せ、此方へ可相届ケ候、以来も手形を以可申遣候間、調可申者也・・・」

とあります(山梨県1999)。この文書は、早川町薬袋で伐り出した石柱を筏に乗せて、川を遡って甲府まで届けるよう命じているものです。このことからも、河川が材木や石材といった物資を「筏流し」を介して流通していたことがわかり、また、河川を下るだけではなく筏を引き上げて遡ることもしていたことがわかります。

材木の調達と集落形成 

 宮沢中村遺跡を含む地域は戦国時代には大井氏による支配が行われており、「高白斎記」に記述がある富田城(とだじょう)があった地域とされています。この富田城の位置は、未だ明らかとなっていない部分がありますが、宮沢中村遺跡の南東部に所在する戸田集落を比定地とする説があります。

 今回紹介した宮沢中村遺跡第4面建物跡群についても、柱穴から出土した陶磁器類が天目茶碗や大窯灰釉陶器皿といった中世城館跡から出土する遺物と遜色ないことが指摘されており、「寺ないし館の建物」としての性格が推測されています。

 建物跡群の柱材の樹種は、モミ属、ツガ属、カラマツであることが同定結果として報告されています。そして、これらはすべて現在でも建築用材として選択される樹種であり、モミは「海抜700m前後以下の山腹部」、ツガ属やカラマツは海抜1,500m前後の亜高山帯を中心に分布しており(宮脇ほか1977)、沖積低地に位置する宮沢中村遺跡周辺での獲得は難しかったと推測できます。このことから、建築の柱材として使用する用材を「他地域に求めている」と考えられるのです。

こうした物資の流通状況が「寺」や「館」といった性格の建物に供給するための木材生産・流通・消費システムであるとは一概に言えませんが、必要な材を遠方に求める資力と技術力が、中世末~江戸時代初頭頃の宮沢中村遺跡(旧宮沢集落)に備わっていたことを地域の歴史環境の中で積極的に評価できるでしょう。

 

<参考文献>

宮脇昭ほか1977『山梨県の植生』山梨県

日本学士院編1980『明治前日本林業技術発達史 新訂版』日本学術振興会

山梨県1999『山梨県史』資料編4 中世1県内文書

山梨県2007『山梨県史』通史編2 中世

 

 

 

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