ページID:32513更新日:2017年6月22日
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遺跡トピックスNo.0244甲府城跡鉄門
県指定史跡甲府城跡一覧
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0043県指定史跡甲府城跡-甲府城発掘展-
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0069県指定史跡甲府城跡-金箔瓦
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0198県指定史跡甲府城跡-石垣補修工事(H21)-
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0214県指定史跡甲府城跡-石垣補修工事と石工技術の体験-
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0225県指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城-築城技術と甲州石工文化-」展の開催-
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0232県指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城-築城技術と甲州石工文化-」展の開催-
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0244県指定史跡甲府城跡-鉄門の再確認調査-
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0257県指定史跡甲府城跡-野面積み-
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0261県指定史跡甲府城跡-鉄門の石垣-
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0278県指定史跡甲府城跡-鉄門復元事業-
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0283県指定史跡甲府城跡-「昔覚ゆる甲府城展」の開催-
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0285県指定史跡甲府城跡-狭間-
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0306県指定史跡甲府城跡-お城の排水施設「暗渠」-
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0295県指定史跡甲府城跡-ひらけ!玉手箱-
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0297県指定史跡甲府城跡-石工道具-
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0317県指定史跡甲府城跡-慶長一分金-
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0329県指定史跡甲府城跡-数寄屋曲輪の地鎮祭-
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0345県指定史跡甲府城跡-「ひらけ!玉手箱~よみがえる鯱」展の開催-
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0364県指定史跡甲府城跡-石垣補修工事-
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0389県指定史跡甲府城跡-石垣-
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0249甲府城跡-県庁構内の遺跡-
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0332甲府城跡-発掘された甲府の城下町展-
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0352甲府城跡-石垣普請-
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0362甲府城跡-県庁構内(駐輪場)発掘調査速報-
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0367甲府城跡-県庁構内(委員会室棟)発掘調査速報-
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0369甲府城跡-発掘された甲府の城下町~武田氏館と城下町-
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0370甲府城跡-鉄門の活用~鉄門イベント-
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0397甲府城跡-石切場跡-
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0408県指定史跡甲府城跡-石垣-
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0412県指定史跡甲府城跡-石垣の積み方-
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鉄門とは?

写真1

鉄門は、甲府城の本丸にあった櫓門の1つです。
甲府城は、豊臣秀吉の家臣であった浅野氏によって築城された織豊城郭(しょくほうじょうかく、織田・豊臣の時代に築かれた城郭)であり、豊臣政権の東日本の支配の拠点の1つとして重要な役割を持っていました。城内の石垣には、築城当時の技法である「野面積み(のづらづみ)」の石垣が多く見られるのが特徴です。
甲府城は、豊臣政権が終わり徳川家康による江戸幕府が成立して以降、徳川一門や重臣など幕府の重要な人物が城代や藩主になりました。特に、5代将軍徳川綱吉の側用人として有名な柳沢吉保も甲府藩主となり、甲府城の大改修を行っていることがわかっています。
柳沢吉保時代の記録である『楽只堂年録(らくしどうねんろく)』には、宝永2(1705)年に、甲府城内の建物等の名前を改称した記録があり、その中に鉄門の名前が見られます。また、『楽只堂年録』に収められている絵図にも、鉄門が確認できます。その他、江戸初期(1600年代)の成立とされる絵図や発掘調査の成果から、鉄門は江戸時代の初期にはあったと位置付けられています。また、明治初期の古写真や古文書によって、明治9(1875)年に払い下げられ撤去されるまで、その存在が確認されています。
鉄門の再確認調査の実施
鉄門は、平成5年度に埋蔵文化財センターによって発掘調査が行われましたが、鉄門の復元をより史実の姿に近づけるために、今年5月、再確認の調査を行いました。今回の調査によって、当初の雨落ちや縁石、礎石の再検証がなされ、その成果をもとに今後鉄門を復元していきます。
写真調査風景

遺構全体の様子
雨落ちの遺構の調査の様子

確認調査の終了時
埋蔵文化財センターでは、鉄門の復元事業の様子を随時公開していきたいと考えています。ホームページも今後充実させていきますので、お楽しみに!
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