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ページID:4496更新日:2017年6月13日

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遺跡トピックスNo.0124甲府城跡稲荷櫓

県指定史跡甲府城跡一覧

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甲府城(25階から)

写真1県指定史跡甲府城跡(北から)

 

県指定史跡甲府城跡は、一条小山(いちじょうこやま)と呼ばれていた小丘上に築城(ちくじょう)された近世城郭で、惣石垣造(そういしがきづく)りとしては県内唯一のもので約400年の歴史を誇ります。発掘調査により、城内の各曲輪(くるわ)から浅野家の家紋瓦や、金箔や朱(しゅ)を施された瓦、豊臣家の家紋瓦が出土していることから、築城は文禄慶長期(ぶんろくけいちょうき1590年代)と考えられています。

市街地化によって周辺の景観は大きく変貌しましたが、築城期の野面積(のづらづ)み石垣が良好に残る史跡として保護され、現在は舞鶴城公園として広く親しまれています。

甲府城については、甲府城研究室をご覧ください。

 

所在地:甲府市丸の内1丁目地内

時代:中世~近世・近代

報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書
(第65,74,84,93,98,140,222,223,232,233,243集)

山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター

復元された稲荷櫓

甲府城には、江戸時代に合計で7棟の櫓(やぐら)がありましたが、それぞれには方角・場所・用途などから名前が付けられていました。例えば、お城の東南に位置する数寄屋曲輪(すきやぐるわ)にあった櫓は、「数寄屋曲輪御櫓」のほかに、立地する方角から「御巽櫓」(おんたつみやぐら)とも呼ばれていたことがわかっています。同様に稲荷櫓(いなりやぐら)は、「稲荷曲輪御櫓」あるいは、城内の北西に位置することから「御艮櫓」(おんうしとらやぐら)と呼ばれていたことが絵図からわかっています。

櫓は、近世城郭の隅部などに防御施設として建築されました。そのため、建物の床の一部を取り外して建物内から外の敵を攻撃する「石落とし」といった防御施設が付随しています〈図1・写真2〉。

稲荷櫓の具体的な利用については、柳沢期の絵図『楽只堂年録(らくしどうねんろく)』(柳沢文庫)ではただ「二重櫓」とのみ記されているためわかっていません。勤番(きんばん)支配期以降については、享保12年(1727年)の『稲荷曲輪御櫓御蔵御道具員数帳』(甲州文庫)に「同心具足弐百領」と記載されていることから、武具が収納されていたことがわかっています。同資料には曲輪内に隣接する「御武具蔵」にも鉄砲や弓矢などの武器が収納されていたことが記されており、さらに同曲輪内に焔硝蔵(えんしょうぐら)があることなどからも稲荷櫓を含む稲荷曲輪全体の性格をうかがうことができます。

 

石落とし1

図1石落としの構造

石落とし2

写真2石落とし(矢印部分)

関連リンク

  • 第3回甲府城跡発掘展『稲荷曲輪御櫓御蔵御道具員数帳』-この企画展は終了しました。
  • 甲府城研究室

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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