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ページID:4474更新日:2016年2月1日

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遺跡トピックスNo.0133鰍沢河岸跡

富士川町の遺跡

  • 0005鰍沢河岸跡-泥めんこ-
  • 0025鰍沢河岸跡-礎石建物跡・井戸-
  • 0027鰍沢河岸跡-石垣・粘土枠遺構-
  • 0030鰍沢河岸跡-口留番所跡-
  • 0035鰍沢河岸跡-道・区画-
  • 0047鰍沢河岸跡-胞衣壺-
  • 0048鰍沢河岸跡-磁器・泥めんこ-
  • 0068鰍沢河岸跡-文政の大火-
  • 0092鰍沢河岸跡-目薬瓶-
  • 0113鰍沢河岸跡-元禄一分判金-
  • 0117鰍沢河岸跡-文政の大火と磁器-
  • 0188鰍沢河岸跡-荷物置き場-
  • 0203鰍沢河岸跡-竹製の水道管-
  • 0208鰍沢河岸跡-陶器製湯たんぽ-
  • 0242鰍沢河岸跡-御蔵台-
  • 0270鰍沢河岸跡-うさぎ文様の茶碗-
  • 0351鰍沢河岸跡-お茶碗にみるものがたり-
  • 0359鰍沢河岸跡-統制番号製品-
  • 0015町屋口遺跡-水路・道路-
  • 0291町屋口遺跡-明治時代の磁器-
  • 0360町屋口遺跡-河岸お蔵道-
  • 0114青柳河岸跡-石垣-
  • 0158平野遺跡-焼失住居跡-
  • 0375鰍沢河岸跡-泥めんこ-

鰍沢河岸跡は、富士川町(旧鰍沢町)明神町~横町地区に所在し、江戸時代に開かれた富士川舟運に伴う船着き場として設けられた川の港です。 

鰍沢河岸跡遠景

写真2鰍沢河岸跡遠景

平成19年度調査区

写真3平成19年度調査区

焼土層

遺物の表面の傷跡は、埋まっていた場所の土と関係がありそうです。

よく見ると土の色が所々オレンジっぽく変色しているのがわかります。

それはこの地域で火事があったことを物語っています。

焼土層と遺物

写真4焼土層と遺物

火事の記録と遺物

鰍沢河岸出土遺物

写真5鰍沢河岸跡出土遺物

鰍沢河岸出土遺物

表面を拡大!

鰍沢河岸出土遺物

さらに拡大!

「表面が凸凹!プツプツ!ツヤガない!」


鰍沢河岸は文政4(1821)年正月に周辺の家77軒を焼く大規模な火事に見舞われたという記録が残っています。

出土した遺物の中には〔写真1、写真5〕のように表面の釉薬のツヤが失われ、さらにはプツプツと発泡し、他の陶磁器とは外見が明らかに違うものがあります。それらは高温を受けたために起きた状態と推測され、文政4年の大火によって被害を受けたのであろうと考えられます。

 

遺物の表面にできた傷跡は火事が原因だったのです。
このように私達は、遺物を手がかりにして当時の人々生活の様子を知ることができます。

 

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