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更新日:2017年6月8日

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遺跡トピックNo.0275馬乗山2号墳(うまのりやまにごうふん)-甲府盆地最後の前方後円墳-

笛吹市の遺跡

0014経塚古墳-復元古墳-
0217経塚古墳-内部構造-
0251経塚古墳-石室の石積み-
0280経塚古墳-列石-
0396経塚古墳-八角形の意味-
0019桂野遺跡-石皿・磨石-
0100桂野遺跡-陥し穴-
0111桂野遺跡-前期土偶-
0262桂野遺跡-縄文時代前期の住居跡-
0265桂野遺跡-土器に描かれた物語-
0020四ツ塚古墳群-玉類-
0235四ツ塚古墳群-装身具-
0022狐原遺跡-墨書土器-
0059平林2号墳-副葬品-
0079平林2号墳-青銅鏡-
0102平林2号墳-ガラス玉-
0202平林2号墳-馬具類や装身具類-
0240平林2号墳-勾玉-
0337平林2号墳-勾玉-
0081身洗沢遺跡-田んぼと木製品-
0230身洗沢遺跡-プラント・オパール-
0339身洗沢遺跡-農具の今と昔-
0125水口遺跡-柄鏡形敷石住居跡(1号住居跡)-
0355水口遺跡-敷石住居跡(3号住居跡)-
0135花鳥山遺跡-エゴマ種子塊-
0194花鳥山遺跡-縄文時代の食生活を知る遺物-
0199花鳥山遺跡-世界最大級の縄文土器?-
0406花鳥山遺跡-耳飾り-
0145竜安寺川西遺跡-発掘調査速報-
0155竜安寺川西遺跡-発掘調査速報2-
0165竜安寺川西遺跡-発掘調査速報3-
0179竜安寺川西遺跡-ミニチュア土器-
0147境川中丸遺跡-発掘調査速報-
0157境川中丸遺跡-発掘調査速報-
0181境川中丸遺跡-S字状口縁台付甕-
0148一の沢遺跡-縄文時代中期の住居-
0293一の沢西遺跡-ヒトをモチーフにした土器-
0307一の沢遺跡-縄文土器-
0350一の沢遺跡-みんなで応援しよう!「ミュージアムキャラクターアワード2012」のいっちゃん-
0150稲山遺跡-発掘調査速報-
0160稲山遺跡-発掘調査速報2-
0170稲山遺跡-発掘調査速報3-
0209稲山遺跡-常滑甕-
0229稲山遺跡-すり鉢-
0288稲山遺跡-かわらけ-
0151三光遺跡-発掘調査速報-
0166三光遺跡-発掘調査速報5-
0171三光遺跡-発掘調査速報6-
0186三光遺跡-耳飾り他-
0173二之宮遺跡-食材をふかす道具-
0284二之宮遺跡-置きカマド-
0219亀甲塚古墳-盤龍鏡-
0264亀甲塚古墳-碧玉製管玉-
0234御坂中丸遺跡-縄文時代早期-
0275馬乗山2号墳-甲府盆地最後の前方後円墳-
0331地耕免遺跡-斎串と馬の歯-
0354中丸東遺跡-縄文時代前期の土器と古墳時代の住居跡-
0356石橋条里制遺構-古代の土地区画整理-
0371太鼓畑遺跡-調査概要-
0382六ッ長遺跡-調査概要-

馬乗山古墳(うまのりやまこふん)

馬乗山古墳は、甲府盆地南東縁に連なる曽根丘陵の東端、標高約300mの台地上に位置しています。中央自動車道境川パーキングエリアの建設工事に伴い、1980(昭和55)年に発掘調査が行われました。考古博物館・埋蔵文化財センターからは直線で北東約2.5キロの方向にあります。
なお、古墳の名称については、かつては「八乙女塚古墳(やおとめづかこふん)」と呼ばれていたこともありましたが、付近に同じ名前の古墳があること(現在は「表門神社古墳(うわとじんじゃこふん)」と呼ばれています)、実際の調査の結果、1基と考えられていた古墳が2基あることが明らかになったことなどから、混乱を避けるため現在は円墳(直径13メートル)の方を「馬乗山1号墳」、東側に接して築かれた前方後円墳を「馬乗山2号墳」と呼んでいます。

所在地:笛吹市境川町藤垈

時代:古墳時代中期

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第5集1985(昭和60)年

調査機関:山梨県教育委員会

甲府盆地最後の前方後円墳

馬乗山2号墳全景

馬乗山2号墳全景(北から撮影:右側の円墳が1号墳)

馬乗山2号墳は、前方部を西に向け、東西方向に主軸をとる前方後円墳です。発掘調査の結果、全長約60メートル、前方部の幅約30メートル、後円部の直径約39.5メートルの規模が考えられています。

墳丘は、台地上に版築(はんちく)と呼ばれる工法で土を突き固めていき、2段に築いていることが確認されました。前方部から後円部の一部にかけては葺石(ふきいし)が、前方部では周溝も残っていました。

また、前方部は後円部より1メートル以上高くなっていましたが、これは過去に後円部から土が取り出された結果であり、本来は後円部の方が高かったことが考えられます。さらに、土を取り出した際に、鏡や剣・刀・勾玉などが出土したと伝えられており、埋葬施設があったことが想定されますが、調査ではその痕跡は残っていませんでした。

墳丘くびれ部の葺石周辺から出土した須恵器(すえき)は、6世紀前半から中頃にかけてのものですが、立地や墳丘の形態から考えると、この古墳は5世紀後半から末頃の築造が考えられます。

そして、この古墳を最後に、甲府盆地で前方後円墳は造られなくなります。

なお、2号墳の前方部正面にある1号墳は、4基の組合せ式石棺が発見され(3基は考古博物館の「古代の広場」に移築されています)、刀や鏃(やじり)など鉄製の武器が出土しており、これらの年代が5世紀中頃から後半にかけてのものであることから、1号墳は2号墳より先に築造されたことがわかります。このことは、2号墳の前方部正面が内側に湾曲しており、2号墳が1号墳に規制されて造られていることからもわかります。

古墳時代中期の甲府盆地

「かたち」と「大きさ」で身分秩序を現した古墳時代。日本列島にある古墳のうち、全長が200メートルを超える古墳はすべて前方後円墳であり、前方後円墳という「かたち」は、最高権力者の証であり、まさにヤマト王権の象徴として各地で300年以上も造られ続けました。

古墳の成立した当初は、前方後円墳-前方後方墳-円墳-方墳という序列がありましたが、中期(5世紀)になると前方後方墳はなくなり、代わって前方部が極端に短い帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん)が造られるようになります(7世紀になると八角形古墳もあります)。

甲府盆地における墳墓の変遷(4C~6C)

甲府盆地における4世紀後半~6世紀初頭の墳墓の変遷

甲府盆地では、甲斐銚子塚古墳に代表されるように、前期中頃から後半(4世紀代)にかけて、旧中道地域において大型前方後円墳が相次いで築造されてきました。しかし、中期になるとその様相は一変します。旧中道地域において甲斐銚子塚古墳に続く5世紀初頭の甲斐国の首長墓は、隣接する円墳の丸山塚古墳(直径72メートル)となり、その後も5世紀後半にかけてさらに墳形と規模は規制され、ほとんどが直径25メートル前後の小規模な円墳や、大阪で作られた古い須恵器を伴う円形(方形)の周溝墓(遺跡トピックスNo.0247)など、中・小クラスの首長墓になります。前方後円墳は少なく、規模も前期に比べはるかに小さくなり、帆立貝形古墳も見られるようになります。

その一方で、弥生時代以来の伝統的な墓制である方形周溝墓が、5世紀後半代まで営まれていることも発掘調査により明らかにされており、八代地域にある一辺56メートルの方墳、竜塚古墳は、伝統的な「方形の墓」を復活させた、この段階の甲斐国の首長墓ということも考えられます。

そして、中道と八代の中間にある境川の馬乗山2号墳。近畿地方では6世紀後半、関東地方では6世紀末まで大型の前方後円墳が数多く造られ続けますが、甲府盆地ではそれより1世紀前に前方後円墳は姿を消します。

このような墓制の変遷からは、前期のような前方後円墳を頂点としたヤマト王権との強力な連合関係を想定することはできません。これらの背景には、各地の動向とも連動した結果、ヤマト王権との交流が途絶えたことが考えられます。

参考文献

小林健二2008「方形周溝墓と方墳-笛吹市八代町竜塚古墳出現の背景-」『山梨県考古学協会誌』第18号

山梨県考古学協会2010「古墳から見た甲斐の地域社会」『専修史学』第48号専修大学歴史学会

お知らせ

山梨県埋蔵文化財センターでは、今年1月の毎週木曜日に、山梨県生涯学習推進センターと共催で「やまなし再発見講座-遺跡から探る墓制の変遷-」を4回にわたって開催してきました。

この講座を踏まえた特別講演とまとめのシンポジウムを、2月6日(日曜日)の午後1時から甲府市の山梨県立男女共同参画推進センター「ぴゅあ総合」で開催します(詳しくはこちら→平成22年度埋文シンポ・やまなし再発見講座のご案内)。発掘調査や研究を通じて明らかになった、縄文時代から近世までの各時代の墓制の変遷と、それを生み出した社会について考えていきたいと思います。多くの方々の参加をお待ちしています。

※このシンポジウムは終了しました。

 

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山梨県観光文化部埋蔵文化財センター 
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電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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