トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0274百々遺跡

ページID:35095更新日:2016年2月25日

ここから本文です。

遺跡トピックスNo.0274百々遺跡(どうどういせき)〔南アルプス市〕

南アルプス市の遺跡

0006十五所遺跡-方形周溝墓-
0010大師東丹保遺跡-網代-
0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
0149大師東丹保遺跡-木製品-
0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
0259大師東丹保遺跡-下駄-
0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
0017二本柳遺跡-木棺墓-
0122二本柳遺跡-福寿院跡-
0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
0276二本柳遺跡-火きり臼-
0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
0051仲田遺跡-田んぼ-
0052百々遺跡-八稜鏡-
0065百々遺跡-錘-
0066百々遺跡-馬の骨-
0101百々遺跡-洪水の跡-
0136百々遺跡-浄瓶-
0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
0269百々遺跡-黒色土器-
0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
0081油田遺跡-田んぼと木製品-
0144油田遺跡-木製竪杵-
0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
0409釜無川堤防跡遺跡-
0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
0241村前東A遺跡-手焙形土器-
0250村前東A遺跡-住居跡-
0286村前東A遺跡-S字甕-
0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
0168新居道下遺跡の住居跡-
0216長田口遺跡の鏡片-
0340向河原遺跡-水田跡と杭列-

286


この写真は、なに時代のなんでしょう?
ヒントは何かの「歯」です

百々遺跡の概要

百々遺跡
時代:弥生時代中期、古墳時代前期、平安時代、鎌倉時代
所在地:南アルプス市百々地内
報告書:『百々遺跡1』2002山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第201集
『百々遺跡2・4』2004山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第212集
『百々遺跡3・5』2004山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第213集

『百々遺跡6』2005山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第231集

百々遺跡関連トピックス
NO.0052-八稜鏡-
NO.0065-錘-
NO.0066-馬の骨-
NO.0101-洪水の跡-
NO.0136-浄瓶-
NO.0172-平安時代の住居跡-
NO.0269-黒色土器-

百々遺跡のウシ・ウマの歯

答えは、平安時代のウシの歯です。

現在は人間に身近な家畜として定着していますが、昔はどうだったのでしょうか?
今回は百々(どうどう)遺跡を取り上げて、ヒトとウシの関係に触れてみたいと思います。

南アルプス市百々地内にある百々遺跡は、平安時代の建物跡約250軒が確認され、平安時代の大集落であることがわかりました。
この地域は御勅使川(みだいがわ)の度重なる洪水で遺構や遺物が壊されたものだと思われていましたが、発掘で堆積した御勅使川の石や砂の下から弥生時代、古墳時代、平安時代、鎌倉時代と複合的な遺跡であることが確認されました。

246

(写真1百々遺跡2出土のウシの歯)

286

(写真2百々遺跡2出土のウシの歯)

275

(写真3百々遺跡2出土のウマの歯写真左が前歯)

ちなみに発掘現場の歯や骨は、上の写真のようにきれいな状態では見つかりませんし、とても壊れやすいんです。

下の写真のように土に埋もれた状態から、やわらかい歯ブラシや竹串を使って少しずつ壊さないようにきれいにする根気のいる作業が必要なんですよ!

244

(写真4百々遺跡2出土確認写真)

百々遺跡では平安時代の大集落とともに、ウシ・ウマの歯や骨が多く見つかったことで注目されました。
百々遺跡2では写真2や3のような状態はただ歯が多く出土しただけではなく、頭や顎(あご)ごと埋葬または祭祀儀礼が行われていた可能性があります。またウシの歯がせまい範囲で集中的にみつかり、百々遺跡では何らかの祭祀儀礼行為が行われた可能性が考えられています。
ウマは古墳時代から権力者の古墳(お墓)の周溝(古墳の周りの溝)に埋葬されていましたが、ウシの事例は珍しいと思われます。ウマは身分の高い人の権力の象徴であり、また騎馬として戦争に利用されていました。一方、ウシは身分の低い農民などともに農業を支え、雨乞いや豊作を祈る信仰の対象となりました。

百々遺跡1では、1つの土坑(どこう=人が掘った穴)から4体分のウマが頭位を北方向にそろえて、顔を西向きに埋めている全国でも珍しい事例が確認されました。

関連トピックス

NO.0066-馬の骨-


牛馬が祭祀儀礼でささげられた後は食べられてしまうことがあるのですが、その場合、食べた後に捨てるので骨の位置がバラバラになります。でも、その痕跡は確認できなかったので1.手厚く埋葬された。2.埋葬に伴う祭祀儀礼が行われた。などの可能性が考えられます。

人間とともに働き、生活してきたウシやウマですから、もしかしたら人間と同じように大切に埋葬されたのかもしれません。

獣骨出土トピックス
NO.0066百々遺跡-馬の骨-
NO.0268塩部遺跡-日本最古級のウマ-

 

次の遺跡トピックスへ遺跡トピックス一覧へ一つ前の遺跡トピックスへ

山梨県埋蔵文化財センタートップへ 

このページに関するお問い合わせ先

山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

このページを見た人はこんなページも見ています

県の取り組み

pagetop