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更新日:2017年5月8日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0032登録有形文化財勝沼堰堤

甲州市の遺跡

  • 0001古婦毛遺跡-埋甕-
  • 0008大木戸遺跡-水晶製石鏃-
  • 0024大木戸遺跡-前期土偶-
  • 0053大木戸遺跡-緑釉陶器-
  • 0143大木戸遺跡-約6,000年前のイエの跡-
  • 0252大木戸遺跡-中期土偶-
  • 0011一ノ坪遺跡-埋甕-
  • 0032勝沼堰堤-砂防堰堤-
  • 0058勝沼堰堤2-水抜き穴-
  • 0078勝沼堰堤3-銘板-
  • 0074勝沼堰堤-砂防学習公園勝沼堰堤見学会報告-
  • 0033日川水制と上流堰堤群-直轄砂防工事-
  • 0064西畑B遺跡-内耳土器-
  • 0071北田中遺跡-古墳時代甕-
  • 0178影井遺跡-羽釜-
  • 0224安道寺遺跡-動物モチーフ付き土器-
  • 0260安道寺遺跡-土偶
  • 0404安道寺遺跡-不思議な形の土器-
  • 0322県指定史跡-武田勝頼の墓-経石-

登録有形文化財勝沼堰堤(とうろくゆうけいぶんかざいかつぬまえんてい)

勝沼堰堤は、国の直轄砂防工事として内務省が大正4(1915)年から日川の中流域に築いた砂防堰堤です。甲州市勝沼町と同市大和町の境に位置し、山間部を流れてきた日川が甲府盆地へと流れ出る出口の所に建設され、大正6(1917)年に竣功しました。
今回の調査は砂防を学習するための公園を整備する事業に伴うもので、堰堤が建設された後に営まれたブドウ畑の砂礫を取り除くと、大正年間に築かれた堰堤の姿が現れました。


所在地:甲州市勝沼町・大和町

時代:大正・昭和

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第234集(平成18年3月刊行)

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

勝沼堰堤全景(北から)

〔写真〕勝沼堰堤全景(北から)

米キタアスヤル船クルヒルコス

米キタアスヤル船クルヒルコス今から100年ほど前の明治40(1907)年8月下旬、東日本を中心に大雨が降りました。県内では甲府盆地の東部を流れる笛吹川、日川、重川などで河川が増水し、至る所で堤防が決壊しました。また、それらの河川が合流する石和付近では一面濁流と化しました。
この未曾有の水害により多くの人が被災しました。食糧に困っていたときに米が来たという一報を受けると障子を重ね合わせて書き、「米が来た、明日やるぞ」と向こう岸の人に伝えました。

国をあげての河川改修計画が固まる!

ところが、水害からの復興が進まないうちに明治43(1910)年8月上旬に大雨が降り、再び多くの被害がでました。この水害により、同年10月に政府は臨時治水調査会を設置し、今後の河川改修計画を策定しました(第1次治水計画)。富士川流域は第1期河川として計画の対象に入っており、翌年から支流の日川流域で内務省による直轄砂防工事がはじまりました。

まず、水路を一定にする水制を建設する工事が行われ、勝沼堰堤の建設は大正4(1915)年から開始されました。

沖野忠雄蒲孚(かばまこと)

〔左〕沖野忠雄

明治16(1883)年、内務省に入る。治水事業に尽力し、臨時治水調査会の委員であったほか、明治44(1911)年には内務技監となった。明治19(1886)年に富士川の河川改修計画意見書を提出するなど富士川の治水とも縁が深く、今回の直轄砂防工事でも日川や御勅使川といった富士川流域の河川を視察した。

〔右〕蒲孚(かばまこと)

大正3(1914)年に東京大学を卒業(工学士と林学士の学位をもつ)した後、内務省に入る。日川や御勅使川、あるいは日光の稲荷川の砂防工事を担当し、後に新潟土木出張所長に任命された。土木学会誌に上記河川の砂防工事に関する論説報告を行った。

勝沼堰堤の建設はじまる!

大正4(1915)年から建設がはじまった勝沼堰堤の工程について順を追ってみていきましょう

コンクリートを一部に使用した大規模な工事の様子を垣間見ることができます。なお、以下に示す番号は図中の番号と一致し、1から4は建設当初の工事を、5は大正6年(1917年)から翌年にかけて行われた補修工事を示しています。

土木学会誌に掲載された勝沼堰堤の平面図

〔図〕蒲孚(かばまこと)大正11年10月「日川砂防工事」『土木学会誌』第8巻第5号より加筆

  1. 元の川の左岸に川の水を流すための隧道を掘る
  2. 元の川の蛇行部を2カ所の石垣で締め切り、その基礎にコンクリート製の壁を設置する
  3. 新たな川を直線的につくるために隧道の上の岩盤を切り開き、表面に石を張る
  4. 3で切り開いたときに出た砂礫を2カ所の石垣の間に入れ、表面に石を張る
  5. 2カ所の石垣のうち上流側の石垣の前面に土砂を盛って石を張ったほか、上流側の石垣にコンクリートの目地を施す

石に刻まれた建設時の様子

六角形の物見台の南側面に刻まれた銘板と水位計上流側の石垣に刻まれた建設時のレベル標識

〔写真左〕六角形の物見台の南側面に刻まれた銘板と水位計

銘板に「基礎混擬土(コンクリート)壁」と刻まれていますが、工事報告書などから総合しますと、勝沼堰堤を建設する時の基礎にコンクリート製の壁を設置したことがわかります。また、新たな川の河床から石垣の一番高いところまでの標高差が10尺(約3m)であると銘板に刻まれていますが、銘板の左側にみえる水位計にはローマ数字で1から10まで刻まれています。

〔写真右〕上流側の石垣に刻まれた建設時のレベル標識

コンクリート製の壁の頂から石垣の一番高いところまでの標高差が40尺(約12m)であると銘板に刻まれています。写真の上の方に「XL」という文字がみえますが、「XL」はローマ数字で40を示しています。同様に、下の方にみえる「XXXV」はローマ数字で35を示しています。また、補修工事の際に施した目地を確認することもできます。

ドリル痕と矢穴

〔写真〕ドリル痕(左)と矢穴(右)

堰堤を建設するときに使用した石材は花崗岩が多くを占めており、上流より運搬されました。石を割って使用したケースが多く、石材を切り出すためのドリル痕や矢穴がみられます。

 

銘板からひとつひとつの石に至るまで、さまざまな石材に建設時の様子が刻まれています。平成18(2006)年度には公園として見学できるようになる予定となっています。90年ほど前に先人が遺した土木技術を是非体感してください。

 

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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