更新日:2019年7月8日
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桂川流域の富士吉田市から都留市にかけて古くから栽培されており、その歴史は明治の末頃からと伝えられている。山中湖に端を発し富士の湧水を混入して流れる桂川は、冬場でも水量が豊富で水温も10~12℃を保っており、これをほ場(水田)に引き込んでかけ流しにすることで、冬の寒さが厳しいこの地域において貴重な青物の栽培が可能となった。
昭和35年、富士吉田市に青果地方卸売市場が設立されたのを機に市場出荷が始まり本格的な栽培が行われ、正月の雑煮用などとしての需要も伸びた。
昭和60年頃には都留市内各地で盛んに栽培されていたが、高齢化や宅地化などにより栽培者、面積ともに減少し現在では栽培が行われているのは、十日市場地区のみとなっている。
水かけ菜
栽培ほ場の様子
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