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ページID:60953更新日:2017年5月19日

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遺跡トピックスNo.0395滝沢遺跡-転用硯-

 

富士河口湖町の遺跡

0029滝沢遺跡-平安時代住居・土錘-
0034滝沢遺跡-墨書土器-
0056滝沢遺跡-桃の種-
0334滝沢遺跡-叩き甕-
0386滝沢遺跡-発掘調査速報-
0395滝沢遺跡-転用硯-
0095塚越遺跡-柄鏡形敷石住居跡-
0177塚越遺跡-網代-
0121富士山二合目行者堂跡-石列-
0195炭焼遺跡-火打ち金-
0248富士山と信仰の道
0282冨士御室浅間神社里宮-片山社-
0304富士山二合目行者堂跡-灯明皿-
0327冨士御室浅間神社二合目本宮境内地遺跡-石碑が語る信仰の道-
 

遺跡の概要

平成25年9月~12月にかけて、吉田河口湖バイパスの建設に伴い滝沢遺跡の第4次発掘調査が実施されました。滝沢遺跡は河口湖の北東約1kmの地点に位置し、標高は約840~850mを測る微傾斜地に所在します。

滝沢遺跡の所在する富士河口湖町河口地区は、古代東海道が駿河国(今の静岡県)より分岐して甲斐(今の山梨県)国府へといたる古代官道「甲斐路(御坂路)」が通っており、平安時代の法典である『延喜式』によると、このあたりには中央と連絡する中継地に設置される「駅家(うまや)」の一つ「河口駅(かわぐちのえき)」が置かれていたと記されています。滝沢遺跡は、この古代官道沿いに営まれた奈良~平安時代の集落で、これまでに30軒以上の竪穴建物跡などが見つかっているほか、数多くの墨書土器や刻書土器、鉄製品などが出土しています。

所在地:南都留郡富士河口湖町河口地内

時代:奈良~平安時代

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第247集『滝沢遺跡・疱橋遺跡・谷抜遺跡』2007,山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第282集『滝沢遺跡(第2次)』2012

調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター

御坂峠

河口集落と滝沢遺跡。奥は御坂山塊

出土した古代の硯(すずり)

出土した古代の硯(すずり)

今回の発掘調査では、竪穴建物跡が7軒発見されたほか、数多くの土坑や柱穴などが見つかりました。そのなかでも注目したいのが、4号竪穴建物跡(下左写真)と名付けた平安時代の建物内から出土した灰釉陶器の底部の破片です(下右写真)。この灰釉陶器をよく観察すると、上の面がほぼ全面にわたり、つるつるに磨かれています。また、みこみ部(器内面の中心部のこと)に施された釉薬が、一部摩擦で取れているのが確認できます。これらはすべて、この灰釉陶器のみこみ部を使って墨を磨っていた痕跡です。このように、土器本来の器としての用途から転じて、硯として使用されたものを転用硯(てんようけん)と呼びます。

滝沢竪04検出状況滝沢遺跡(転用硯)

左上:4号竪穴建物跡検出状況

右上:4号竪穴建物跡から出土した転用硯

さて、この転用硯をさらによく観察してみると、墨を磨った面の土器の胎土の隙間に朱の塊が入り込んでいるのを見ることができます。これは、この硯で磨った墨が通常の黒い墨でなく、朱墨を磨っていたものであることを示しています。今回の調査では、この転用硯のほかに、もう1点朱墨を磨ったと思われる転用硯がみつかっています(下写真)。こちらも同様に、みこみ部がつるつるしており、中心部に朱墨と思われる痕跡がみられます。こちらの転用硯は遺構に伴うものではありませんでしたが、この集落において、朱墨を用いる作業が行われていたことが推測されます。

 

滝沢遺跡転用硯その2

左:朱墨を磨ったと思われる転用硯(遺構外出土)

今回の発掘調査で出土した2つの転用硯は、この集落が一般的な集落ではなく、役所のような役割を持った集落であることを如実に表すものであり、特に河口駅との関連が疑われます。この集落でだれが、何をしていたのかは今のところわかりませんが、古代官道や駅家を取り巻く広域的な歴史景観の復元に大きく寄与する調査成果であると言えます。

 

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