トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0396経塚古墳

ページID:61164更新日:2017年5月15日

ここから本文です。

遺跡トピックスNo.0396経塚古墳笛吹市

笛吹市の遺跡

0014経塚古墳-復元古墳-
0217経塚古墳-内部構造-
0251経塚古墳-石室の石積み-
0280経塚古墳-列石-
0396経塚古墳-八角形の意味-
0019桂野遺跡-石皿・磨石-
0100桂野遺跡-陥し穴-
0111桂野遺跡-前期土偶-
0262桂野遺跡-縄文時代前期の住居跡-
0265桂野遺跡-土器に描かれた物語-
0020四ツ塚古墳群-玉類-
0235四ツ塚古墳群-装身具-
0022狐原遺跡-墨書土器-
0059平林2号墳-副葬品-
0079平林2号墳-青銅鏡-
0102平林2号墳-ガラス玉-
0202平林2号墳-馬具類や装身具類-
0240平林2号墳-勾玉-
0337平林2号墳-勾玉-
0081身洗沢遺跡-田んぼと木製品-
0230身洗沢遺跡-プラント・オパール-
0339身洗沢遺跡-農具の今と昔-
0125水口遺跡-柄鏡形敷石住居跡(1号住居跡)-
0355水口遺跡-敷石住居跡(3号住居跡)-
0135花鳥山遺跡-エゴマ種子塊-
0194花鳥山遺跡-縄文時代の食生活を知る遺物-
0199花鳥山遺跡-世界最大級の縄文土器?-
0406花鳥山遺跡-耳飾り-
0145竜安寺川西遺跡-発掘調査速報-
0155竜安寺川西遺跡-発掘調査速報2-
0165竜安寺川西遺跡-発掘調査速報3-
0179竜安寺川西遺跡-ミニチュア土器-
0147境川中丸遺跡-発掘調査速報-
0157境川中丸遺跡-発掘調査速報-
0181境川中丸遺跡-S字状口縁台付甕-
0148一の沢遺跡-縄文時代中期の住居-
0293一の沢西遺跡-ヒトをモチーフにした土器-
0307一の沢遺跡-縄文土器-
0350一の沢遺跡-みんなで応援しよう!「ミュージアムキャラクターアワード2012」のいっちゃん-
0150稲山遺跡-発掘調査速報-
0160稲山遺跡-発掘調査速報2-
0170稲山遺跡-発掘調査速報3-
0209稲山遺跡-常滑甕-
0229稲山遺跡-すり鉢-
0288稲山遺跡-かわらけ-
0151三光遺跡-発掘調査速報-
0166三光遺跡-発掘調査速報5-
0171三光遺跡-発掘調査速報6-
0186三光遺跡-耳飾り他-
0173二之宮遺跡-食材をふかす道具-
0284二之宮遺跡-置きカマド-
0219亀甲塚古墳-盤龍鏡-
0264亀甲塚古墳-碧玉製管玉-
0234御坂中丸遺跡-縄文時代早期-
0275馬乗山2号墳-甲府盆地最後の前方後円墳-
0331地耕免遺跡-斎串と馬の歯-
0354中丸東遺跡-縄文時代前期の土器と古墳時代の住居跡-
0356石橋条里制遺構-古代の土地区画整理-
0371太鼓畑遺跡-調査概要-
0382六ッ長遺跡-調査概要-
 

古墳の概要

経塚古墳は御坂山塊を源とし、笛吹川に急勾配をもって下る金川の右岸、標高約348mに位置し約38haの広さを持つ「金川の森」の中に現地復元されています。近くには有名な甲斐国分寺・国分尼寺跡をはじめとして金川原古墳群や四ツ塚古墳群などが点在しています。
発掘調査は平成6年4月~8月末まで実施されました。
その結果、石室の主軸方位をほぼ真北に取る直径約12m、墳丘高約2.2mの八角形墳であることが判明しました。
調査前の状況は墳丘の各所に大型の亜円礫が露呈しており、裾部に周回する外護列石や中段の石積みが残存している様子が容易に把握することができました。石室は原形をとどめているものの天井石が一石崩落しており、そこから玄室内がうかがえる状況でした。

所在地:笛吹市国分字経塚1133

時代:古墳時代

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第109集『山梨県指定史跡経塚古墳』1995.7

調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター

0396_調査中の経塚古墳調査中の経塚古墳

八角形の意味

発掘当時の約20年前までは、八角形墳は舒明、斉明、天智、天武・持統、文武などの天皇陵があげられ、近畿地方を中心とした西日本特有のものとされていました。しかし、稲荷塚古墳(東京都多摩市)や三津屋古墳(群馬県吉岡町)など東日本で相次いで発見され始められるようになります。このことは、従来より考えられていた近畿地方中心といった考古学の常識に一石を投じ静かな波紋が広がる結果となりました。

0396_基底部の石だけを残した状態基底部の石だけを残した状態

平面形から見ると一般的な円墳や方墳から変化したものと想像されがちですが、実はもう少し奥が深いようです。単なる墳形の変化ではなく「仏教思想」説と「中国政治思想」説からなるふたつの仮説が立てられています。
538年あるいは552年に日本に伝来してきたといわれている仏教思想では八角形には魂を鎮めるという考えがあります。これは現在でも法隆寺夢殿のような寺院建築から検証されます。しかし、これが八角形墳の「八」についてあてはまるかは少々難しいものがあります。
これに対して、今のところ主流になっているものが「中国政治思想説」です。これは、古代中国の「天円地方」の「地方」という背景に由来するものです。
漢の時代の皇帝は「天を祀るには円壇をもって、地を祀るには方壇をもって行った」とされています。さらにここから、「地は方なり」、すなわち地は国家や国土を意味するようになります。地の支配者である皇帝は方壇に祀られなくてはならないところから八角形が生まれたという考えです。
この二つの説に優劣をつけるよりも互いに影響し合って八角形が成立していったと想定してはいかがでしょうか。いずれにしても、八角形墳は謎に包まれていることが多いのです。

 

次の遺跡トピックスへ遺跡トピックス一覧へ一つ前の遺跡トピックスへ

山梨県埋蔵文化財センタートップへ

 

 

このページに関するお問い合わせ先

山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

このページを見た人はこんなページも見ています

県の取り組み

pagetop