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更新日:2017年5月22日

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遺跡トピックスNo.0334滝沢遺跡-叩き甕(たたきがめ)-

富士河口湖町の遺跡

0029滝沢遺跡-平安時代住居・土錘-
0034滝沢遺跡-墨書土器-
0056滝沢遺跡-桃の種-
0334滝沢遺跡-叩き甕-
0386滝沢遺跡-発掘調査速報-
0395滝沢遺跡-転用硯-
0095塚越遺跡-柄鏡形敷石住居跡-
0177塚越遺跡-網代-
0121富士山二合目行者堂跡-石列-
0195炭焼遺跡-火打ち金-
0248富士山と信仰の道
0282冨士御室浅間神社里宮-片山社-
0304富士山二合目行者堂跡-灯明皿-
0327冨士御室浅間神社二合目本宮境内地遺跡-石碑が語る信仰の道-

滝沢遺跡(たきざわいせき)

0334_滝沢遺跡遠景

滝沢遺跡第2次調査の遠景(奥に見えるのは河口湖)

滝沢遺跡のある南都留郡富士河口湖町の河口地区は、駿河国(静岡県)を通過する東海道と甲斐国を結ぶ古代の官道「甲斐路」または「御坂路」と呼ばれる道路が通っていたといわれ、平安時代の法典『延喜式(えんぎしき)』に記載された、中央(都)との連絡に使用する馬を用意するための施設「河口駅」(かわぐちのえき:甲斐国三駅の1つ)があったといわれています。

国道137号河口2期バイパスと吉田河口湖バイパス建設に伴い、2005~2011(平成17~23)年にかけてこれまで3回の発掘調査が行われ、縄文時代から近世にかけての遺跡であることが明らかになりました。中でも、奈良・平安時代(今から約1,200~1,100年前)の竪穴住居跡が合わせて34軒発見されており、この遺跡一帯が古代の官道に沿って広がっていた集落であったと考えられています。また、山梨県内では最古となる弥生時代中期の方形周溝墓が1基発見されています。

このあたりは、御坂山・三ツ峠山の南麓で、河口湖の北東部の標高840mから851mにかけての緩やかな斜面上に立地しており、遺跡から富士山は見えませんが、黒岳(1792.7m)をはじめ御坂山地を一望することができます。

  • 所在地:南都留郡富士河口湖町河口
  • 時代:縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・中世・近世
  • 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第247集2007(平成19)年、第282集2012(平成24)年
  • 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

滝沢遺跡のこれまでのトピックスNo.0029No.0034No.0056

叩き甕について

0334_滝沢遺跡叩き甕

滝沢遺跡出土の叩き甕

0334_滝沢遺跡叩き甕アップ

叩き目のアップ

今回紹介する土器は、平安時代のものではありません。第2次調査で出土した「叩き甕(たたきがめ)」と呼ばれる古墳時代初め頃(いまから約1,750年前)の煮炊き用の土師器(はじき:野焼きの土器)です。

特徴はその名の通り、土器を作る際に粘土ひもを積み上げた(巻き上げた)生乾きのときに、線を刻んだ羽子板のような板で表面を叩いて調整したもので、叩き目が文様のように残っています。

畿内(きない:奈良県・京都府南部・大阪府・兵庫県南東部)において、弥生時代中期(今から約2,300年前)から古墳時代初め頃にかけて作られた平底の甕で、山梨県内では数は少なく、同じ富士河口湖町の西一条遺跡、村前東A遺跡(南アルプス市)、塩部遺跡(甲府市)に次いで、4遺跡目の出土になります。滝沢遺跡出土のこの甕は、残っている部分は少ないですが、全体的にススがたくさん付いていて、良く使われていたことがうかがえます。

なお、「叩き」の技法は古墳時代後半期から作られる須恵器(すえき)の甕にもみられますが、高温の窯(かま)で焼く須恵器には、割れやひずみを防ぐために内側に当て具を使い、表面を叩きしめて粘土の中の気泡を追い出すことが不可欠となりますが、野焼きの弥生土器や土師器に用いられた叩き技法には、そこまでの効果は必要なかったと思われます。

ところで、この時代の叩き甕といえば、奈良県の大和盆地南部と大阪府生駒山西麓で作られた「庄内甕(しょうないがめ)」と呼ばれる非常に薄くて軽い甕がありますが、これは当時の中心地(邪馬台国?)で生産されたもので、同じ軽量薄甕で東海地方から伝わった「S字甕」(トピックスNo.0286)とともに新時代にふさわしい土器であり、西日本に広く運ばれています。

滝沢遺跡出土のこの叩き甕はやや厚く、胴の長い形状が考えられることから、畿内でも中心地ではなく周辺地域の伝統的な弥生形の甕と考えられます。

交通の要衝

この時代の山梨では、台の付いたS字甕が煮炊き道具の主体となっており、生活スタイルに取り入れられていることがわかります。滝沢遺跡でも出土しています。

その一方で、この叩き甕やS字甕のように近畿・東海地方以外の土器も出土しており、滝沢遺跡では第3次調査で近江地方(琵琶湖周辺)で同じ頃に作られた甕も出土しています。さらに弥生時代には、相模(神奈川県)、駿河(静岡県)、信濃(長野県)など各地の土器もみられます。

はじめにも紹介しましたが、富士河口湖町の河口地区は、東海道から分かれた古代の道が通っており、御坂峠を越えて甲府盆地へ通じていました。しかし、奈良・平安時代に交通路が整備される以前から、すでにこの道が存在していたことを、これらの土器は明らかにしています。

それはこの地域一帯が、古代よりはるか昔から多くの人々とともにさまざまな文物が行き交った、まさに交通の要衝であったことを物語っています。

参考文献

都出比呂志1986「2.タタキ技法」『弥生文化の研究』3弥生土器1.雄山閣

小林健二2006「山梨県出土の畿内系叩き甕に関する覚書-甲府市塩部遺跡の調査から-」『研究紀要』22山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター

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