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ページID:65697更新日:2017年5月19日

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遺跡トピックスNo.0414鍋弦塚と『東山の碑』

曽根丘陵公園の遺跡

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鍋弦塚と『東山の碑』

遺跡名:鍋弦塚〔なべつるづか〕

所在地:甲府市下向山町字東山

時代:中世

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

0414_鍋弦塚1

写真:鍋弦塚と『東山の碑』(右側の石碑)

中世の貴人の塚「鍋弦塚」

甲府盆地の南に位置する東山の一帯には、甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園が位置します。ここには弥生後期~古墳時代前期に126基の方形周溝墓が作られた上の平遺跡や、国指定史跡の甲斐銚子塚古墳・丸山塚古墳などがあり、遺跡の宝庫ともいわれる地域です。この公園の一角には、今回紹介する「鍋弦塚(なべつるづか)」が所在します。

鍋弦塚は中世に作られた、直径約10mの円形の塚です。明治40年に、地元の人が開墾中に陶器製の壺を偶然発掘して明らかになりました。墳端にはその時の経緯を記した『東山の碑』が建てられています。その後公園整備に伴って、昭和63年に埋蔵文化財センターが発掘調査し、正確な形状や壺の出土位置を確認しました。

鍋弦塚に葬られた人物は?

鍋弦塚から出土した常滑製の壺は、三筋壺(さんきんこ)と呼ばれます。口の縁部分や肩の張出しの特徴などから、14世紀前半に作られたと考えられるものです。壺の中には火葬された骨の破片が入っており、扁平な石を蓋に利用していたと伝えられます。こうしたことから常滑製三筋壺は骨壺(蔵骨器)と理解され、それを納めた塚は、中世の墳墓ではないかといえるものです。

それでは鍋弦塚に葬られた人物とは、いったいどのような人なのでしょう。

前出の『東山の碑』には、「曽根氏の墓なりし」と記しています。文化11年(1814)に成立した甲斐国の地誌である『甲斐国志』によれば、清和源氏の源清光の子とされる曽根禅師厳尊は、中世初頭に現在の甲府市南部(旧中道町)に居住し、その後厳尊の子孫により長くこの地域を基盤としてきたことが知られています。蔵骨器の年代である14世紀前半に最も近い曽根氏の人物は、当時の文書に散見されますが、例えば甲府の一蓮寺に伝わる県指定文化財『一蓮寺過去帳』に見られる「文明十四年(1473)四月十一日乗阿(曽根弥五郎)」をはじめ、東鏡に「建久六年(1195)曽根穪太郎」、日蓮年譜に「弘安五年(1282)曽根穪次郎」などがその例です。ただし、必ずしも曽根氏に関わる人物とは断定できません。いずれにしても地元有力者の墳墓である可能性が高いものです。

0414_鍋弦塚2

写真:鍋弦塚で見つかった蔵骨器

『東山の碑』と富岡敬明

鍋弦塚の墳端に建てられている『東山の碑』は、常滑焼の壺が発見された翌年の明治41年に山梨県の権参事(県を取り仕切る実質的指導者)も務めた富岡敬明により記されたものです。碑文は、富岡敬明がこの地に眠る祖先に向け、敬意を表していたことを窺うことができる貴重な資料です。

富岡敬明は明治時代に活躍した山梨県唯一の男爵で、その人生は明治時代という激動の時代を支えた波乱に富んだものでした。甲府市善光寺町には、今も敬明の住んだお屋敷があります。

敬明は文政5年(1822)肥前国佐賀藩(現在の熊本県)に生まれ、天保3年(1832)には小城藩士の富岡惣八の養子となりました。天保13年(1842)に小城藩の世継ぎであった鍋島三平(小城藩題10代藩主鍋島直亮)の側近となって以後、各職を歴任するものの37歳の時に酒による失態を犯し処分されます。その後赦免ののちに明治2年(1869)佐賀本藩弁務となって以後、佐賀藩権参事、明治4年(1871)の廃藩置県後は伊万里県権参事、明治5年(1872)には山梨県権参事に任命されました。敬明50歳の時のことです。

その年に明治政府の方針で「大小切税法」という江戸時代を通じて適用された税法の廃止を巡り、東郡(現在の笛吹市・甲州市・山梨市)の百姓が暴動を起こしました。敬明は暴動を抑え、責任を取って参事を辞め、新任の県権令(のちに県令)藤村紫朗の補佐にあたりました。

明治9年(1876)には熊本県令となり西南戦争に遭遇し、熊本城で籠城戦を戦ったあと、熊本県令、同知事となりました。明治24年(1891)の退任後、山梨県へ移り住み晩年を過ごしました。なお、明治33年(1900)には男爵号を授けられて華族となり、明治44年(1911)に88歳で世を去りました。

0414_鍋弦塚3

写真:東山の碑

『東山の碑』の読み下し

甲斐国東八代郡下曽根村の人北野覚次郎来り請うて曰く吾が村は世々曽根氏の居りし所東山に鍋弦塚あり伝えて云う曽根氏の墳墓なりしと去年四月開墾の時隅々磁壺を発見す中に人骨あり朱を以て之を包む甲斐国志に逸見冠者清光の子曽根禅師厳尊ここに居るとありあるいは禅師の遺骨か曩の此所を距る北一丁余なる丸山に於て古剣古鏡を発見せりこれを坪井博士に質す博士以て千年前貴人の墳墓となせりこれに因りて之を考ふれば禅師の骨なるべし茲に石を建てこれを後毘に遺さんとす願わくばその文を撰べと余が曰く子の志し善し而して其骨果たして禅師なるや否や未だ速やかに断定すべからずと雖も曽根一門のものたるや明れかし今子その地を有し碑を建て其の魂を祭る敬の至りなり地下の霊喜び知るべし子の家子々孫々其余慶を享くるは勿論

一村の人々その余沢に潤ふや必せり乃ちその梗概を記すること此の如し

明治四十一年十二月

正三位勲三等男爵富岡敬明題額

周防香川皋撰書

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