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更新日:2017年5月17日

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遺跡トピックスNo.184水呑場北遺跡(みずのみばきたいせき)-土器に付着していた「おこげ」

市川三郷町の遺跡

  • 0004宮の前遺跡-埋甕-
  • 0184水呑場北遺跡-「おこげ」-
  • 0196宮の前遺跡-「χ字状把手」-
  • 0419鳥居原狐塚古墳-赤烏元年銘神獣鏡-

水呑場北遺跡概要

0184_水呑場北遺跡全景0184_水呑場北遺跡調査区

写真1)水呑場北遺跡全景写真2)調査区全景

(奥に見える街並みは甲府盆地)

水呑場北遺跡は、笛吹川農業水利事業に伴い1988年に発掘調査が行われた遺跡です。

この遺跡が所在する地域は遺跡が多く、周辺には縄文中期~後期(約4,000~3,000年前)および、古墳時代(約1,600年前)の上野原遺跡、弥生後期(約1,800年前)の一条林遺跡(いちじょうりんいせき)などがあり、さらに鳥居原狐塚古墳(とりいばらきつねづかこふん)、大塚古墳など10数基の古墳が点在しています。

調査の結果、縄文時代早期(約7,000年前)~古墳時代(約1,600年前)の遺物が出土し、住居跡1軒、土坑13基、溝2条が確認されました。

所在地西八代郡市川三郷町大塚字水呑場2628-1他

時代縄文早期~古墳時代

調査期間1988年7月~9月

報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第45集

 土器に付着していた「おこげ」

0184_水呑場北遺跡おこげ1

写真3)土器内部に付いていた「おこげ」

写真3は土器の内部に付いていた「おこげ」です。

何か食用のものを土器で煮込んだ際にできたと考えられます。

これをよく見ると丸い構造物がありますが、これはユリ科やヒガンバナ科などの球根類に特徴的なものです。その中で一番可能性が高いものはノビルが考えられますが、ユリ科のアサツキやツルボ、ヒガンバナ科のキツネノカミソリ、ヒガンバナなども似た構造をもちます。

このような炭化した球根類の判別はとても難しく、電子顕微鏡による詳細な観察が行なわれギョウジャニンニクという可能性も考えられましたが、一体何のおこげなのか、今のところはっきりしたことは言えません。

0184_水呑場北遺跡出土土器

写真4)3号土坑内出土土器

0184_水呑場北土器内部10184_水呑場北土器内部2

写真5)3号土坑内出土土器内部写真6)3号土坑内出土土器内部拡大

(黒い部分がおこげ)

 

0184_水呑場北土器出土状況

写真7)3号土坑内土器出土状況

写真4は3号土坑から出土した土器です。

50cm大の円柱状の石および30cm大の平石と供に、土坑内に横たわる状態で出土しました。(写真7)

口径36.5cm、器高60cmの大型深鉢土器(おおがたふかばちどき)で、縄文時代中期の井戸尻式(いどじりしき)(約4,000年前)に相当します。

この土器の内部に厚さ1cmほどのおこげが付着していました。(写真5、6)

縄文時代の食生活

縄文時代は狩猟(しゅりょう)、漁撈(ぎょろう)、植物採集によって食物を獲得していました。

植物は腐りやすくその痕跡が残りにくいため、縄文時代は狩猟や漁撈中心の生活をしていたと考えられていたこともありましたが、今では植物はとても重要な食料であったと言えます。

クルミ、ドングリ類、クリなどの木の実が各地の縄文時代遺跡でたくさん出土していること、それらをすり潰す道具が出土している事実からも、植物が食料の中で重要な位置を占めていたことが分かります。また近年、土器の中からダイズ痕(こん)が発見された報告もあります。その他に球根類も食べていたと思われますが、それらは木の実よりもはるかに腐りやすくなかなか出土することがありません。

今回紹介したおこげは、何らかの球根類を土器で煮ていた痕跡で、縄文時代の人々が球根類を食べていた可能性を示す貴重な資料なのです。

参考→遺跡トピックスNo.169甲ッ原遺跡

遺跡トピックスNo.135花鳥山遺跡

0184_水呑場北植物

縄文時代の人々は上に示した植物の球根を食料にしていたようです。

 

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