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ページID:8461更新日:2016年2月1日

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遺跡トピックスNo.0104天正寺遺跡

都留市の遺跡

  • 0026四ノ側遺跡-平安時代住居-
  • 0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-
  • 0080玉川金山遺跡-土坑墓-
  • 0090玉川金山遺跡-炉穴-
  • 0093玉川金山遺跡-鉄鏃-
  • 0099玉川金山遺跡-地下式坑-
  • 0118玉川金山遺跡-集石-
  • 0182玉川金山遺跡-台石-
  • 0082中溝遺跡-耳飾り-
  • 0104天正寺遺跡-弥生土器-
  • 0128天正寺遺跡-様々な弥生土器-
  • 0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-
  • 0190中谷遺跡-三角とう形土製品-
  • 0258中谷遺跡-注口土器と蓋-
  • 0263中谷遺跡-集石土坑-
  • 0167美通遺跡-敷石住居跡-
  • 0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-
  • 0201美通遺跡-発掘調査速報-
  • 0204美通遺跡-発掘調査速報2-
  • 0206美通遺跡-発掘調査速報3-
  • 0220美通遺跡-発掘調査速報4-
  • 0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-
  • 0289美通遺跡-D区発掘調査速報-
  • 0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-
  • 0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-
  • 0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-
  • 0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-
  • 0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-
  • 320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-
  • 0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-
  • 0349三ノ側遺跡-羽口-
  • 0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-
  • 0400谷村城-歴史と変遷-
  • 0413谷村城-発掘調査速報-

土器が出てきた状況

 

弥生土器が出てきた様子1

弥生土器が出てきた様子1

 

弥生土器が出てきた様子2

弥生土器が出てきた様子2

弥生土器は凹んだ場所から出土しました。その周囲からは礫が見つかっています。また、平面的にはまとまっていますが、出ている場所の高さに差があるようです。

 

焼けた土を半分に掘った様子

焼けた土を半分に掘った様子

また、弥生土器のまとまりの下から、焼けた土が出てきました。これを半分に掘り割ったところ、焼けた土は厚くたまっていることが分かりました。どうやら、何回かここで火を燃したようです。

弥生土器が出てきた場所

 

弥生土器が出てきた場所

弥生土器が出てきた場所

弥生土器は写真中央の凹んだ場所から出てきました。弥生時代の人が住んだ家の可能性もありますが、その半分は調査の外であるため、確実とは言えません。ただし、天正寺遺跡の北西側に生出山山頂遺跡があったことから、山を生活域としたことは十分考えられます。

 

では、弥生時代の人々はなぜ山の中で生活したのでしょうか?天正寺遺跡や生出山山頂遺跡は弥生時代中期の遺物が見つかっていますが、この時代は都留市だけに限らず、標高が高い場所で生活したようです。その理由としては、稲作が定着しかかっている不安定な時代であったため、稲作だけにたよらず、狩猟や採集など様々な活動をしたと考えられます。

 

都留市を含む郡内地域では弥生時代前・中期の遺構・遺物は確認されるものの、弥生時代後期の遺物はなかなか出土しません。これに対し、弥生時代後期において甲府盆地の周辺では大規模な集落が出現します。この背景として稲作の定着を背景とした人々の動きが関係しているのかもしれません。

 

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