ページID:70936更新日:2019年3月25日
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甲府城研究室(埋蔵文化財センター)_甲府城年表
甲府城の概要・歴史
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甲府城年表
年
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甲府城関連事項
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1582(天正10) |
本能寺の変、徳川家康が入国、平岩親吉が城代となる |
1590(天正18) |
豊臣秀吉が天下統一、家康関東へ転封
羽柴秀勝(秀吉の甥、秀吉の養子)が入国 |
1591(天正19) |
秀勝が岐阜へ転封、代わって加藤光泰が城主(24万石)となる
築城を本格的に開始 |
1592(文禄元) |
文禄の役、光泰朝鮮へ出兵 |
1593(文禄2) |
光泰釜山の陣中にて病没。浅野長政・幸長が城主(22万5千石)となる |
1597(慶長2) |
慶長の役、幸長朝鮮へ出兵 |
1600(慶長5) |
関ヶ原の戦い。長政・幸長東軍として戦う |
1601(慶長6) |
長政・幸長が和歌山へ転封
徳川家康の命により平岩親吉が再度城代(6万3千石)となる |
1603(慶長8) |
徳川義直(家康九男)が城主(25万石)となる |
1607(慶長12) |
義直が清洲に転封(親吉は犬山へ転封)
城番制が設置される |
1615(元和元) |
大阪夏の陣(豊臣氏滅亡) |
1618(元和4) |
徳川忠長(将軍秀忠二男)が城主となる(22万石) |
1632(寛永9) |
忠長蟄居を命じられ、再び城番制がしかれる |
1661(寛文元) |
徳川綱重(将軍家光三男)が城主となる(25万石) |
1664(寛文4) |
半世紀ぶりの大修理 |
1678(延宝6) |
徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる(25万石) |
1704(宝永元) |
綱豊、将軍綱吉の養嗣子縁組により江戸城に移る |
1705(宝永2) |
柳沢吉保が甲斐国を受領、大名領となる(15万1千石)
この頃藩士佐藤三左右衛門が金魚飼育に精通、大和郡山の金魚養殖の祖 |
1706(宝永3) |
城内の曲輪修復や殿舎の造営が行なわれる |
1724(享保9) |
柳沢吉里(吉保嫡男)、大和郡山へ転封
甲斐国一円が天領となり、甲府勤番の設置 |
1727(享保12) |
甲府城大火(本丸御殿、銅門などを焼失) |
1734(享保19) |
城内に盗賊が侵入(御金蔵破り) |
1854(安政元) |
日米和親条約の締結により開国 |
1866(慶応2) |
勤番制を廃止、城代を設置 |
1867(慶応3) |
大政奉還(江戸幕府滅亡) |
1868(明治元) |
明治維新、板垣退助ら率いる新政府軍が無血入城、鎮撫府が置かれる |
1871(明治4) |
山梨県誕生 |
1874(明治7) |
廃城、内城のみが残される |
1876(明治9) |
内城全体に勧業試験場設置、葡萄等が栽培される |
1877(明治10) |
鍛冶曲輪跡に葡萄酒醸造所を設置 |
1897(明治30) |
清水曲輪跡に中央線甲府停車場を設置 |
1900(明治33) |
楽屋曲輪跡に県立甲府中学校を建設 |
1904(明治37) |
城内を舞鶴公園として開放 |
1906(明治39) |
遊亀橋架橋、稲荷曲輪跡に機山館を新築 |
1922(大正11) |
本丸に謝恩碑建設 |
1926(昭和元) |
内城石垣の一部(楽屋曲輪)を解体 |
1927(昭和2) |
楽屋曲輪跡に県庁を新築 |
1953(昭和28) |
鍛冶曲輪跡に恩賜林記念館を新築 |
1968(昭和43) |
県指定史跡(史跡名称「甲府城跡」)となる |
1990(平成2) |
舞鶴城公園整備事業に着手 |
2004(平成16) |
稲荷櫓完成 |
2013(平成25) |
鉄門一般公開 |
2019(平成31) |
国指定史跡となる |
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