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ページID:48899更新日:2015年12月14日

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遺跡トピックスNo.0359鰍沢河岸跡(かじかさわかしあと)

富士川町の遺跡

  • 0005鰍沢河岸跡-泥めんこ-
  • 0025鰍沢河岸跡-礎石建物跡・井戸-
  • 0027鰍沢河岸跡-石垣・粘土枠遺構-
  • 0030鰍沢河岸跡-口留番所跡-
  • 0035鰍沢河岸跡-道・区画-
  • 0047鰍沢河岸跡-胞衣壺-
  • 0048鰍沢河岸跡-磁器・泥めんこ-
  • 0068鰍沢河岸跡-文政の大火-
  • 0092鰍沢河岸跡-目薬瓶-
  • 0113鰍沢河岸跡-元禄一分判金-
  • 0117鰍沢河岸跡-文政の大火と磁器-
  • 0188鰍沢河岸跡-荷物置き場-
  • 0203鰍沢河岸跡-竹製の水道管-
  • 0208鰍沢河岸跡-陶器製湯たんぽ-
  • 0242鰍沢河岸跡-御蔵台-
  • 0270鰍沢河岸跡-うさぎ文様の茶碗-
  • 0351鰍沢河岸跡-お茶碗にみるものがたり-
  • 0359鰍沢河岸跡-統制番号製品-
  • 0015町屋口遺跡-水路・道路-
  • 0291町屋口遺跡-明治時代の磁器-
  • 0360町屋口遺跡-河岸お蔵道-
  • 0114青柳河岸跡-石垣-
  • 0158平野遺跡-焼失住居跡-
  • 0375鰍沢河岸跡-泥めんこ-

【鰍沢河岸跡の概要】

鰍沢河岸跡は、江戸時代に甲信地域の各地から集めた大量の年貢米を江戸へ運び出すために富士川沿いに開かれた、いわば川の港です。また塩をはじめとする様々なものを甲信地域に運び入れる役割をも果たしており、昭和はじめに身延線が甲府まで全線開通するまで大いに栄えた場所でした。発掘調査によって、そこで暮らす人々の日常生活の様子やその港を支えた米蔵、問屋や飲食店などが立ち並ぶ活気あふれる賑わいの風景が浮かび上がってきました。
◆所在地山梨県南巨摩郡鰍沢町1374-5外

時代近世・近代

調査機関山梨県埋蔵文化財センター

報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書

第148集1998年刊行

第224集2005年刊行

第238集2006年刊行

第245集2007年刊行

第254集2008年刊行

染付冨士山文皿統制番号表示

写真左:【染付富士山文皿(表面)】

写真右:【統制番号の表示「岐1086」】

この小皿の裏面には、「岐1086」と書かれています。これらは「生産者別表示記号(統制番号)」と言われ、第二次大戦中、天然資源が乏しく、戦争の長期化によって物資が不足するなかで、昭和16(1941)年から陶磁器製品の生産から販売までを国が統制するための手段として用いられたもので、この時代のやきものにはほぼすべて窯元を示す番号が付けられています。これによりそのやきものがどこの誰に生産されたかがわかります。
「岐1086」については、岐阜県の恵那陶磁器工業組合に所属し、陶町猿爪に在住した伊藤嘉市により生産された製品であることが特定できます。
戦争が終わってから67年がたち、身近に戦争を体験した世代が日本人の13%を切り、戦争を伝えるものが「ひと」から「もの」へと確実に移ろうとしています。今回紹介した統制番号製品をはじめ遺跡の発掘調査から発見される戦争資料も平和学習の物証・語り部としての役割をになう大切な資料となります。

 

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山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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