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ページID:4564更新日:2017年5月19日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0030鰍沢河岸跡(口留番所跡)

富士川町の遺跡

  • 0005鰍沢河岸跡-泥めんこ-
  • 0025鰍沢河岸跡-礎石建物跡・井戸-
  • 0027鰍沢河岸跡-石垣・粘土枠遺構-
  • 0030鰍沢河岸跡-口留番所跡-
  • 0035鰍沢河岸跡-道・区画-
  • 0047鰍沢河岸跡-胞衣壺-
  • 0048鰍沢河岸跡-磁器・泥めんこ-
  • 0068鰍沢河岸跡-文政の大火-
  • 0092鰍沢河岸跡-目薬瓶-
  • 0113鰍沢河岸跡-元禄一分判金-
  • 0117鰍沢河岸跡-文政の大火と磁器-
  • 0188鰍沢河岸跡-荷物置き場-
  • 0203鰍沢河岸跡-竹製の水道管-
  • 0208鰍沢河岸跡-陶器製湯たんぽ-
  • 0242鰍沢河岸跡-御蔵台-
  • 0270鰍沢河岸跡-うさぎ文様の茶碗-
  • 0351鰍沢河岸跡-お茶碗にみるものがたり-
  • 0359鰍沢河岸跡-統制番号製品-
  • 0015町屋口遺跡-水路・道路-
  • 0291町屋口遺跡-明治時代の磁器-
  • 0360町屋口遺跡-河岸お蔵道-
  • 0114青柳河岸跡-石垣-
  • 0158平野遺跡-焼失住居跡-
  • 0375鰍沢河岸跡-泥めんこ-

富士川舟運の川港である鰍沢河岸跡は、江戸時代から明治・大正時代の遺跡です。

鰍沢河岸跡の最南端に位置する口留番所は、江戸幕府が設置した小規模な関所で、交通の要所に設置され、人や物資の出入りを監視する施設です。

国土交通省による甲西道路建設に先立って平成17年3月から6月にかけて発掘調査を行いました。

今回の調査では、石垣や礎石建物跡が確認されました。

 

所在地富士川町(旧鰍沢町)明神白子地区

時代江戸時代~明治・大正時代

調査機関山梨県埋蔵文化財センター

遺跡全景・1

遺跡全景

調査風景・1

作業風景

出土した遺構

石垣

石垣〔写真〕川岸に築かれた石垣

石垣は、高さ3m、長さ20mほどあり、口留番所の広場や建物跡がある平らな面が崩れないように、富士川に面する斜面に構築されていました。

建物跡

礎石建ち建物〔写真〕礎石建物跡

礎石建物跡は、東西に2間×南北に4間(約4m×約8m)の規模です。

 

建物跡の周りを掘り下げていくと、文久永宝(1863年~)や子供の遊び道具である泥メンコ、陶磁器片などが出土しました。

 

出土した遺物から、口留番所が廃止になってから建てられたものと思われます。

 

さらに掘り下げると、口留番所の造成層が確認できました。

 

この層からは遺物の出土がなく、口留番所の性格上、生活廃棄物を捨てなかったからだと考えられます。

 

今回は、口留番所広場東縁をかろうじて調査できましたが、口留番所本体は現在の国道52号線の下に埋れていると推定されます。

 

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山梨県観光文化・スポーツ部埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
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