ページID:75446更新日:2017年6月21日

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遺跡トピックスNo.0450身延町に残る伝・煙硝蔵跡

城下町・宿場町・大工町の顔を持つ下山

 

身延町の遺跡

〔番号〕〔遺跡名〕-〔テーマ〕-〔トップページ掲載期間〕

0012梅平本田遺跡-鍛冶遺構-2005年8月4日~2005年8月10日

0193県指定史跡徳川家康側室養珠院墓所-県内最大級の宝篋印塔-2009年6月18日~2009年6月25日

0343常葉川堤防遺跡-発掘調査速報-2012年6月20日~2012年6月26日

0366常葉川堤防遺跡-水制・牛類-2013年2月20日~2013年3月11日

0385平林遺跡-発掘調査速報-2013年11月20日~2013年12月4日

0390平林遺跡-竪穴状遺構-2014年2月5日~2014年2月25日

0415本城山遺跡-2015年4月30日~2015年5月12日

0450伝煙硝蔵跡-2016年10月19日~2016年11月2日

戦国時代、武田家の有力家臣の一人である穴山氏は身延町下山を拠点とし、現在の本国寺の辺りに館を構えました。その後、穴山氏滅亡とともに下山は城下町としての役割を終えたと考えられますが、下山は河内路と富士川舟運に欠かすことのできない宿場町として発展します。

また、下山は「下山大工」とよばれる大工たちの町でもあります。近世をとおして県内外の建造物の建設に携わり、明治になってからも旧睦沢学校(現:藤村記念館)を建設するなど、活躍をしています。

現在では、城下町や宿場町、大工町としての面影をわずかに残すばかりですが、ここにご紹介する伝・煙硝蔵跡(えんしょうぐらあと)も、その1つであると考えられています。

遺跡トピックス450-1

 

身延町下山の伝・煙硝蔵跡

 

 

所在地:南巨摩郡身延町下山

時代:中世~近世か

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

 

下山の伝・煙硝蔵跡

 

現在の富士川クラフトパークに入る橋の真下に、煙硝蔵跡と伝えられる遺構があります。煙硝蔵とは、火薬を保管する火薬庫のことです。

遺跡トピックス450-2伝・煙硝蔵跡の測量図

 

周辺の測量調査と発掘調査により、丘の一部を掘削し、建物が乗ると考えられる土台が築かれていることが判明しました。

土台は上面が約12×23mの長方形で、高さは2~4mです。

 

遺跡トピックス450-3現在の伝煙硝蔵跡

 

『山梨県歴史の道調査報告書第7集河内路・西郡路』(1986年、山梨県教育委員会発行)に掲載されている下山の絵図をみると、当該箇所に「えんしょう蔵」の文字と、建物の土台の表記があることなどから、この遺構が煙硝蔵ではないかと推測されています。

 

遺跡トピックス450-4

 

この遺構の上にかかる橋は、その名も「焔硝倉(えんしょうぐら)橋」です。ぜひ現地をご覧ください。

 

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この遺構の上にかかる橋は、その名も「焔硝倉(えんしょうぐら)橋」です。ぜひ現地をご覧ください。

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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