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ページID:65952更新日:2017年5月17日

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遺跡トピックスNo.0415本城山遺跡

 

身延町の遺跡

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遺跡の概要

本城山は中世の山城で、富士川中流域の左岸に位置する円錐形の独立峰です。江戸時代の地誌『甲斐国志』によると、本城山は本城氏の居館や狼煙台(のろしだい)であったことが見てとれます。

また、立地から富士川舟運と甲斐と駿河を結ぶ古道(東河内路)の要衝である大嶋峠を監視する目的で築城されたと考えられます。

本遺跡は、2012(平成24)年度に国土交通省の中部横断自動車道建設工事に伴い発掘調査が行われました。富士川中流域での中世城館の発掘調査事例は数少なく、南部町(旧富沢町)の葛谷峰砦跡、身延町(旧身延町)の南部氏館址に続く3例目の発掘調査です。

今回は、本城山の主郭部(城の中枢部)から南に延びる尾根上の帯郭(帯のように細長い曲輪で、連絡路や一続きの防衛ラインとしての役割を持つ)と堀の一部を調査しました。

0415_空撮0415_調査風景

〈写真左〉遺跡空撮(南東から)赤枠が調査地点

〈写真右〉堀底の発掘調査風景

所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島字馬込

時代:中世・近世

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第306集2015(H27).3刊行

調査機関:山梨県教育委員会

本城山の堀跡

0415_掘跡

〈写真〉掘跡

今回の調査で確認された堀跡は、尾根の斜面と北側の小山の斜面を巧みに利用した長さ約20m、最大幅約25m、堀底部の幅が最大17mの規模です。堀の中央部には、東側の尾根から西側の本城山につながる土橋状の道が堀を横断しています。この土橋の北側は近年まで馬込集落(本城山西側の集落)の人たちが小規模水田として利用していました。

0415_水田跡0415_杭列

〈写真左〉水田跡〈写真右〉杭列

堀底の調査では、北側法面下から炭化材が出土する土坑が確認され、南側法面下からは杭列を伴った溝が確認されました。杭は分析結果から、強度や耐朽性のあるクリ材が使用されており、溝の形状を維持するために打設されていたと考えられます。

また、堀底の堆積土中からかわらけや擂り鉢、常滑窯産甕の破片をわずかではあるが確認することができました。これらの出土遺物から15世紀を中心とした時期に営まれた遺跡であることがわかりました。

調査成果

今回調査を行った本城山は、伝承では本城氏の居館があったとされています。しかし、「本城氏」については、史料や伝承は少なく実態は明らかではありません。一方、本城山の山頂には、「依田大炊頭長利公五輪之墓」の石碑がありますが、そこに見られる「依田氏」についてもほとんど記録はありません。

このような中で、今回の発掘調査では、下図の縄張り図に見られるような東・南側に主要な郭が構築された本城山は、自然地形を活かした堀によって東に連なる山々から切り離されていることから、大嶋峠方面や富士川下流域といった駿河方面に備えた小規模城郭であること、出土遺物から15世紀を中心に営まれていたことが明らかとなりました。

0415_縄張り

〈図〉縄張り図(上が北)

 

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