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更新日:2017年5月19日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0290東山北遺跡のウマ

曽根丘陵公園の遺跡

0028国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業1-
0040国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業2-
0045国指定史跡銚子塚古墳-保存修理事業3-
0096国指定史跡銚子塚古墳-立柱-
0103国指定史跡銚子塚古墳-木製品-
0110国指定史跡銚子塚古墳-火きりんぼう-
0159国指定史跡銚子塚古墳-木-
0318国指定史跡銚子塚古墳-鼉龍鏡-
0335国指定史跡銚子塚古墳-立柱2-
0374国指定史跡銚子塚古墳-壺形埴輪-
0407国指定史跡銚子塚古墳-突出部と周濠区画帯-
0391国指定史跡大丸山古墳-雪におおわれた前方後円墳-
0126稲荷塚古墳-銀象眼大刀-
03334月の中道古墳群-
0388かんかん塚古墳-県内最古の馬具-
0067立石遺跡-山梨最古の旧石器-
0211上の平遺跡-方形周溝墓群-
0299上の平遺跡-地震の痕跡-
0097東山北遺跡-火打ち金-
0192東山北遺跡-方形周構墓-
0290東山北遺跡-ウマの歯と骨-
0353東山北遺跡-鉄製品-
0247東山南遺跡-把手付椀-
0414鍋弦塚と『東山の碑』-

ウマとの関わりを古くからもっていた山梨県。

今週の遺跡トピックスでは、その一端にふれてみたいと思います。

0268_東山北遺跡_馬骨_歯

ウマの歯と骨の出土状況の写真です。

どこにウマの歯と骨があるか、わかりますか?

甲府市「東山北遺跡(ひがしやまきたいせき)」のウマ

山梨県埋蔵文化財センターや山梨県立考古博物館が併設されている曽根丘陵公園内には、多数の遺跡が発掘調査され、保存されています。

園内の東山北遺跡からは、4世紀後半~5世紀初頭頃のウマの骨と歯が出土しています。

じつはこのウマの骨と歯は日本国内でもかなり古いものなんですよ!

3世紀末に書かれた『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』(280~290年頃)には、3世紀末の日本にはウマ、ウシ、ヒツジなどはいないと記録されており、ウマは大陸から持ち込まれた動物でした。

現在とは違い、4世紀後半~5世紀初頭の当時の日本では貴重な動物でした。

ウマを所有できるのは、例えば大和政権と関係のある限られた権力者だけと思われます。さらに馬具(乗馬するさいに必要な道具、またはウマを飾りつけるもの)で飾りつけられたウマは、まさに権力者の権威の象徴だったのでしょう。

東山北遺跡からは、弥生時代(約2.300~1.700年前)の集落の跡や土器、古墳時代(約1.700~1.300年前)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が確認されました。ウマが出土した方形周溝墓は、県内で1番大きく、全国的に見ても最大級の部類に入る大きさ(たて31.4m×よこ36.0m)で、周溝の底面近くからウマの骨と歯が3つのブロックに分かれて総数34点が出土しました。ウマは1頭分か、あるいは2頭分と思われます。

0268_東山北遺跡_馬骨_歯0268_東山北遺跡_馬_出土状況

〈写真左:ウマの骨と歯〉〈写真右:ウマの骨と歯の出土状況〉

こちらも塩部遺跡と同じで方形周溝墓からの出土でしたが、塩部遺跡と違って湿地の遺跡ではなかった為、残念ながら残存状態はあまりよくありませんでした。しかし同じ公園敷地内のかんかん塚から5世紀後半の県内でも古い馬具が出土しており、当時の中道地域の権力の強さと、古くからウマとの深い関わりを持っていたことを想像させます。

遺跡名:東山北(ひがしやまきた)遺跡

所在地:山梨県甲府市下向山字東山

時代:弥生時代~古墳時代

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第79集甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園東山北遺跡第1~3次調査1996年発行

関連トピックス

No.0192東山北遺跡

No.0268塩部遺跡

 

 

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

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