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ページID:4452更新日:2017年6月6日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0037足原田遺跡

山梨市の遺跡

0037足原田遺跡-鞴の羽口-
0046足原田遺跡-凸帯付三耳壷-
0054延命寺遺跡-台付甕-
0221足原田遺跡-食べ物-
0296上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器-
0302上コブケ遺跡C区-発掘調査速報-
0313上コブケ遺跡A・B・C区-発掘調査速報-
0365上コブケ遺跡B区-県内の人面装飾付土器特集-
0346上コブケ遺跡D区-発掘調査速報-
0348上コブケ遺跡D区-発掘体験セミナー-
0324廻り田遺跡B区-発掘調査速報-
0325膳棚遺跡B区-打製石斧-
0330膳棚遺跡A区-調査概要-
0358膳棚遺跡D区-発掘調査速報-
0368膳棚遺跡D区-発掘調査速報2-
0373膳棚遺跡D区-遺跡紹介-
0384上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器の復原修復-
0394上コブケ遺跡C区-ナイフ形石器-

足原田遺跡(いしはらだいせき)

足原田(いしはらだ)遺跡は山梨市万力にあります。西関東連絡道路の建設に伴って発掘調査が2003(平成15)年度から3年間にわたって行われました。今年度の調査では、平安時代後期の住居跡が発見されたほか、川の跡からは古墳時代前期の台付甕が出土しました。

 

所在地:山梨市万力

 

時代:古墳時代・平安時代

 

報告書:

『足原田遺跡1.』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第230集2005年(平成17年)刊行

『足原田遺跡2.』2006(平成18年)年度刊行予定

 

調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター

空中写真(1号住居跡周辺)

〔写真〕1号住居跡周辺のようす

黄色の○印は1号住居跡です。また、右上に見えるたくさんの石は、かつてここに水が流れたようすを示しています。

1号住居跡から出土した坏(つき)

1号住居跡の形を平面的にみると、約3m四方の方形をしています。カマドは住居の南東の角にあり、そこから平安時代後期の羽釜(はがま)が出土しました。中でも、写真の赤い○印を付けたところからは、坏が4つ上下に重なるようにほぼ完全な形で出てきました。坏と坏の間にあまり土が堆積していなかったので同時期に置かれた可能性が高いと思われます。また、下の方の坏にススが付着していることから、カマドが使用されていた時期に置かれたと考えられます。

1号住居カマド11号住居カマド2

カマドを掘り下げていくと、1枚目の坏がみえ、その下に3枚目の坏がみえます〔写真左〕。さらに掘り下げると、3枚目とその奥に4枚目がみえます〔写真右〕。

こんなものがでました!~発掘体験セミナーのその後~

鞴の羽口

〔写真〕鞴の羽口(内径約3cm・外径約8cm・長さ約12cm)

足原田遺跡で発掘体験セミナーを行ってから半年がたちました。台風一過の暑い1日でしたが、遺跡を発掘する面白さを体験していただけたのではないかと思っています。

さて、皆さんが当日に発掘体験した場所ですが、セミナー終了後にさらに調査を進めたところ、30cmほど掘り下げたところから鞴(ふいご)の羽口(はぐち)が出土しました。鞴とは鉄器を加熱して鍛える際に炉の中の火力を高めるために空気を送る装置のことで、羽口は空気を鞴から炉に送る送風管のことをいいます。青と灰色が混ざったような色のところは熱を受けて変化したもので、炉に近い部分であったと考えられます。また、鉄器の加熱時に不純物としてでる鉄滓(てっさい)は発見できましたが、鉄器を打ったときに飛び散る鍛造剥片(たんぞうはくへん)は発見できませんでした。したがって、羽口が出土した場所が鍛冶工房(かじこうぼう)であると断言することはできませんが、近隣にそういった施設があったのかもしれません。

 

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