ページID:41019更新日:2017年5月18日

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遺跡トピックスNo.0325膳棚遺跡(ぜんだないせき)B区

山梨市の遺跡

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0325膳棚遺跡B区-打製石斧-
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0358膳棚遺跡D区-発掘調査速報-
0368膳棚遺跡D区-発掘調査速報2-
0373膳棚遺跡D区-遺跡紹介-
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0394上コブケ遺跡C区-ナイフ形石器-

膳棚遺跡B区は、山梨県山梨市八幡地区に所在する遺跡で、前回のトピックス同様、西関東連絡道路建設に先立ち平成23年10月から平成24年1月末まで発掘調査されました。

今回は膳棚遺跡B区で出土した打製石斧(だせいせきふ)についてご紹介します。

0325_膳棚遺跡調査区全景

打製石斧とは?

石器の一種で石を打ち欠いてつくられているものをさします。

石器には他に、石を研磨(けんま)してつくった磨製石斧(ませいせきふ)、弓矢などの先に付けられた石鏃(せきぞく:矢じりのこと)などがあります。

石鏃が武器として使用されたのに対して、一般的に打製石斧は木の棒などにはめ込み、土を掘るとき(例えば、住居の柱の穴を掘るときや、地中に実る植物の採集)に使用されたと考えられています。イメージとしては名称の「斧」(おの)というよりは、現在でいう鍬(くわ)のような使い方をしていたようです。

打製石斧の形

縄文時代のはじめの頃は自然の石の一部を加工しただけの簡単なつくりだったようですが、時代が新しくなるにつれて、石を薄くはぐ技術が進歩し、使用する目的に応じて形が分化していきます。

形としては細長い「短冊形」(たんざくがた)、三味線(しゃみせん)の撥(ばち)に似た「撥形」(ばちがた)、秤(はかり)に乗せるおもりに似た「分銅形」(ふんどうがた)の3つに分けられ、縄文時代の初頭から半ばまでは短冊形が最も多く、縄文時代の終わり頃になると分銅形が最も多くなります。

今回、膳棚遺跡から出土した打製石斧の大半は短冊形です。

0325_短冊形0325_撥形0325_分銅形

0325_膳棚遺跡_打製石斧

上の写真は実際に膳棚遺跡で出土した打製石斧の写真です。左と真ん中が短冊形、右は撥形です。石の状態があまりよくないこともあり時代は特定できません。ただ、短冊形が多く出土していることから縄文時代の中期ごろなのではないかと考えられます。短冊形は棒の先端に付けて使用していたと考えられるもので、イモ穴を掘るような場合に便利なものです。

今回の調査で出土した石器のうち、打製石斧の占める割合は73%でした。量的には多いといえます。また、発見された打製石斧のほとんどは壊れた状態のものでした。このことから実際に使用されていたということが分かります。

これらのことや、住居など建物の跡がみつかっていないことから、この場所が頻繁に打製石斧が使われる場所だったと推測されます。打製石斧を頻繁に使う場所とはどんな場所でしょう?もしかしたら畑のような場所だったのかもしれません。みなさんはどう思いますか?

 

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