ページID:76194更新日:2016年12月7日

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遺跡トピックスNo.0454稲荷塚古墳―やまなしに仏教がやってきた―

 

0126 稲荷塚古墳-銀象眼大刀

0333 4月の中道古墳群

0388

かんかん塚古墳-県内最古の馬具

0439

考古博物館構内古墳の甲冑

0067

立石遺跡-山梨最古の旧石器

0211

上の平遺跡-方形周溝墓群

0299

上の平遺跡-地震の痕跡

0097東山北遺跡-火打ち金

0192

東山北遺跡-方形周構墓

0290

東山北遺跡-ウマの歯と骨

0353

東山北遺跡-鉄製品

0247

東山南遺跡-把手付椀

0414

鍋弦塚と『東山の碑

0016

岩清水遺跡-古式須恵器 

 

稲荷塚古墳(いなりづかこふん)とは・・? 

 稲荷塚古墳は、考古博物館がある曽根丘陵公園内に所在する古墳時代後期のお墓です。曽根丘陵上にある風土記の丘研修センターの西側にあり、甲府盆地を一望できる高台に位置しています。

1987年(昭和62)に曽根丘陵公園の整備のため、発掘調査が実施されており、横穴式石室が確認されるとともに、石室内からは 土師器や須恵器などの食器類、銀象眼が施された大刀や馬具などの鉄製品、玉類や金環などのアクセサリー類や、仏教思想の到来を意味する銅鋺など、豪華な副葬品が多数出土しました。現在は現地に石室が埋設保存され、出土品は考古博物館に展示されています。

このトピックスを書いているのは、公園の紅葉が最も美しい11月。今回は稲荷塚古墳への道のりと、甲府盆地への仏教の伝来について考えます。

所在地:甲府市下向山町

時代:古墳時代後期(約1,300年前)

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第38集1988(昭和63)年

調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター

遺跡トピックスNo.0126 稲荷塚古墳-銀象眼大刀

稲荷塚古墳の横穴式石室

写真:昭和62年の発掘調査によって、横穴式石室が姿をあらわしました。手前が入口(石でふさがれています)。

 発掘調査のようす稲荷塚古墳遺物出土状況

写真左:発掘作業中のようす。

写真右:石室から副葬品が出土したようす。馬具や鉄製のやじりが見えます。

甲府盆地に仏教がやってきた!

 稲荷塚古墳から出土した遺物の一つに、「銅椀」があります。「銅椀」とは仏教で用いる道具の一つで、青銅などでできたお椀です。

ところで仏教が、朝鮮半島から日本へ伝えられたのは、6世紀後半の古墳時代後期の頃です。日本最古の仏教寺院は奈良県の法興寺(現在は法興寺が所在した場所に飛鳥寺があります)で、蘇我馬子によって建立されました。当時の権力者が積極的に仏教を日本へ導入したことによって、急速に各地域へ広がっていきました。このような流れの中で、甲府盆地でも、まずは豪族たちを中心に仏教が伝わったと思われます。

 それでは、仏教は甲府盆地にどのように伝えられたのでしょう。冒頭でも触れた「銅椀」は仏教で用いる道具の一つ。6世紀後半に造られた稲荷塚古墳から銅椀が出土したということは、すでに仏教が伝わっていたということになります。県内では、笛吹市の古墳でも銅椀が2例ほど出土していますが、いずれも7世紀前半に位置づけられ、稲荷塚古墳のものより新しいものです。このように考えると、仏教は甲府盆地の中でも、まず曽根丘陵地域にいち早く伝わったことがわかります。 

ちなみに甲府盆地にある最古の寺院は、7世紀後半に造られた寺本廃寺(笛吹市春日居町・県指定史跡)。一方、寺院跡は確認できないものの、7世紀前半には天狗沢瓦窯跡(甲斐市)で、寺院用の瓦を焼いています。

寺院が建立される約100年前には、すでに曽根丘陵地域に仏教が伝わっていたことを、古墳から出土した小さな銅椀の破片がおしえてくれます。

 

稲荷塚古墳銅椀

写真:銅椀のうち、口縁部分の破片。この他に底など合計6点の破片が出土しました。

稲荷塚古墳出土銅椀復原図

 写真:銅椀の実測図。推定で直径約14㎝、高さ約5.5㎝。

現在の稲荷塚古墳へ行ってみる

曽根丘陵散策(考古博物館の南側道路をあがる) 登ること10分。紅葉がきれいです。

写真左:考古博物館の南を通る公園管理用道路を徒歩で進みます。(木々の後ろに見えるのは考古博物館。※車は通ることはできません)

写真右:登ること10分弱。道路沿いの紅葉が美しい。

整備された東山南(A)遺跡整備された東山南(B)遺跡

 写真左:東山南(A)遺跡 写真右:東山南(B)遺跡

どちらも5世紀後半の円形周溝墓(遺骸をおさめた墳丘を溝で囲んだお墓)です。丘陵の最も高い、盆地の眺めが良い場所に造られています。

現在の稲荷塚古墳露出した石室の石

写真左:現在の稲荷塚古墳。盛り土により石室が保護されています。

写真右:古墳の頂上に登ると石室の石が一部露出していました。後方に東山南(B)遺跡が見えますね。

遊歩道に設置された稲荷山古墳の説明板遊歩道で見た紅葉のようす

写真左:遊歩道沿いには稲荷塚古墳の説明板。

写真右:説明板を振り返ると散策路が続きます。木々の彩りが美しく、ウォーキングにも最適です。

遊歩道から見た鍋弦塚鍋弦塚と東山の碑

写真左:曽根丘陵を下ってくると、段下に中世の塚である鍋弦塚(なべつるづか)が見えてきました。

写真右:鍋弦塚は昭和63年に発掘調査が実施され、中世の蔵骨器である常滑壺が出土しました。壺の年代から14世紀前半頃に造られたものです。塚の前には明治期に山梨県権参事となった富岡敬明の石碑があります。 

遺跡トピックスNo.0414 鍋弦塚と『東山の碑』

曽根丘陵中腹から見る丸山塚古墳遊歩道からみるいちょうとモミジの紅葉

写真左:曽根丘陵の中腹の木々の間から丸山塚古墳が見えてきました。甲府盆地の眺めも美しい。

写真右:丘陵を下りました。いちょうやもみじの紅葉が見事です。

国史跡銚子塚古墳国史跡丸山塚古墳

 写真左:国史跡銚子塚古墳が見えてきました。全長169mの前方後円墳で、4世紀後半に造られました。

写真右:銚子塚古墳の東側には、同じく国指定史跡丸山塚古墳。こちらは全長72mの円墳です。銚子塚古墳築造ののち、5世紀前半に造られたものです。

岩清水遺跡の円形周溝墓かんかん塚(茶塚)古墳

写真左:さらに進むと岩清水遺跡。5世紀後半の円形周溝墓が2基並んでいます。

写真右:そのすぐ前(北側)にはかんかん塚(茶塚)古墳。5世紀後半の甲冑や馬具などが出しました。

曽根丘陵公園内の色づく木の実考古博物館正面玄関

 写真左:公園内には紅葉だけでなく、赤い実をたわわにつけた木々もありました。

写真右:さらに園路を進むと考古博物館正面玄関に到着。散策してきた遺跡からの出土品が展示されていますので、ぜひ見学してみてくださいね。

 

 

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