孝謙天皇の御代の甲斐の国司山口沙弥麿が郡内地方に養蚕と織物を伝えたといわれ、また百済より秦氏一族のものが富士山麓に住んだことによって河口湖周辺に織物が発達したといわれ ている。915(延喜14)年、「絹を朝廷に献上した」との延喜式にある一文が最も古い郡 内地域の織物についての記述である。

江戸時代に入り、1681(天保元)年の減租嘆願についての訴状に「つむぎ」が確認されており、また黄紬の紬が織られたと記されている。
江戸時代末期には租税として物納された、また、富士山を崇拝する富士講などの人々や、行商人の手によって広く売り出され、明治・大正のころに改良が重ねられ現在の大石紬に至って いる。

この紬の全盛期である明治の末から昭和初期にかけては、二百五十戸余りの農家によって紬が織られ、年間三千四百反余りが生産されていた。

 

この紬は伝統的手法により、経糸を本繭(一匹の蚕が作った正常の繭)から、緯糸を玉繭(二 匹の蚕が作った変形した繭)から、すべて座繰り手引きしたものを一反また一疋に機織りした ものである。

特徴は丈夫で軽く、柔らかく、そしてまた絹特有のすべりの良さと、なによりも堅牢で絹織物と紬織物の両面の良さを併せ持つ、他の紬織と異なった風合いを持っている。