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親子だるま職人・斉藤岳南さん写真1

民芸工房がくなん 2代目

さいとう がくなん

斉藤 岳南

大願成就や開運招福の縁起物として、人々の願いを託されてきただるま。中国から伝わった玩具を元に生まれた「起き上がり小法師」に禅宗の開祖・達磨大師像が結びつきました。座禅姿を模した赤い張子の置物は、何度倒れても必ず起き上がる姿から、七転八起につながると尊ばれました。山梨県では甲州だるまが古くから親しまれてきましたが、なかでも「親子だるま」は、県内で独自に誕生したユニークなだるまです。現在は、甲府市池田にある「民芸工房がくなん」でのみ製作され、2代目斉藤岳南さんが伝統をつないでいます。

唯一無二の伝統を守った軌跡

 京都の僧が、張り子の技術を当時甲府市上一条町に住んでいた武井八衛門に伝えたのがはじまりとされる甲州だるまは、約400年の歴史を持つ工芸品です。顔の彫りの深さや横長の楕円形の目が特徴で、気品と風格を感じさせる様は甲斐の名将武田信玄をモチーフにしたともいわれています。甲州だるまの一つ「親子だるま」は1735年頃の考案と伝えられ、親だるまがお腹に子だるまを抱く独特の風貌が全国的にも珍しいだるま。江戸時代、県の主要産業であった養蚕や綿の農家で豊作を願い、繭玉の形や綿花の色を模した白だるまを祀ったことが発端となっているそうです。
 子孫繁栄や家内安全を祈る人々に長く愛され続けてきましたが、時代の流れとともに徐々に担い手が減少。途絶えかけていた親子だるまの危機を救ったのが、初代斉藤岳南でした。幼い頃から俳句や短歌、絵を嗜み、長じては“岳南”の雅号で創作活動をしていた初代は、海軍軍人として従軍中も全国各地や南方の郷土芸能や郷土玩具を研究していた文化人。戦後、大工の仕事をしながら郷土玩具職人の指導を受けたことをきっかけに、自ら親子だるまの木型を一から彫り出し、復活させました。そうして初代が立ち上げた「民芸工房がくなん」を継いだ2代目斉藤岳南さん。父親が蘇らせた地域の伝統を絶やさぬよう、親子だるまを作り続けています。

無言の対話と背中で語り続けた父親の姿

 父親が工芸職人になったことを機に、当時中学生だった岳南さんの生活も少しずつ変化していきました。「趣味の延長から郷土玩具職人の道を歩み始めた父ですが、持ち前の器用さや文化人の才を活かし、“郷土玩具のことなら岳南に聞け”と言われるほどに有名になっていきました。そんな父を支えるため、家族一丸となってだるまづくりを手伝う日々が続き、20歳の時に本格的に弟子入りをしたのが、私の職人人生のはじまりでした」。そのころ日本は1960年代の観光ブーム。郷土玩具は土産物店の人気商品であったため、民芸工房がくなんでもだるまや土鈴などが飛ぶように売れたといいます。「各地の百貨店やデパートなどの催事で実演販売を行う父について回ったり、中古のオートバイに乗り山中湖や河口湖へ配達にもよく行きました」と懐かしそうに当時を振り返ります。
 50歳で作家名を継いだ岳南さんが、人前に出しても恥ずかしくないだるまを作れるようになるまでは10年もの年月を要しました。「昼間は父と並んで作業をしながら、筆の運びや力加減などを必死に覚えて、仕事後に新聞紙を広げて練習をする毎日でした」と駆け出し時代を語ります。はじめのうちは緊張で手が震え、筆を動かすこともままならなかった岳南さん。職人気質の父親から直接的な指導はなかったそうですが、絵付けしただるまを置いておくと、翌日添削されたものがそっと机に戻っていたといいます。「“自分がいいと思ったなら売ればいい、悪ければお客様が教えてくれる”と現場主義に徹した父の姿は目標であり、超えられない壁でもありました。そんな父の精神を引き継ぎ、今も試行錯誤しながら仕事をしています」。

まっすぐに前を、そして未来を見据えるまなざし

 親子だるまが完成するまでにかかる時間は、約10日間。塗りの作業に入るまでにもいくつもの工程を重ね、丁寧に作られていきます。「だるまづくりが盛んだった頃は、市川大門で漉かれただるま専用の和紙を使っていました。コシのある紙だったので、凹凸のはっきりした顔立ちを表現できたんです。地域の伝統技術がだるまを支えていたんです」と教えてくれました。しっかりと乾かした後、貝殻から作られた白い胡粉を数回に分けて刷毛で下塗りし、乾かしてから全体に色を塗っていきます。ベース、衣のしわや松竹梅の模様と「模様書き」の順番も決まっているといいます。だるまの印象を決定づける顔の各パーツの「面書き」は、根気と集中力のいる最も重要な工程です。最後に、子の目、親の目を墨入れして、背面に岳南の署名を入れて完成を迎えます。
 「目の墨入れにこそ職人の個性が表れる」と話す岳南さんの親子だるまは、素朴ながらも温かみのある表情が魅力。子だるまの目線はまっすぐと前を向き、“目標に向かってたくましく進んでほしい”という親心を映しています。親だるまは子だるまを見守り、また神棚を拝む人と目が合うように目線を下に描かれます。

親子だるまのように受け継がれる技術と想い

 初代が工房を立ち上げ、70年余りの時が経ちました。土産品のニーズも多様化していき、民芸品を作る人も年々減ってきました。戦前は県内でも多くの工房が手作りしていた親子だるまも、今では民芸工房がくなんでしか姿を見ることができません。「地域で愛され、何百年も続いてきた伝統が切れてしまうのは寂しい」と憂いの表情を浮かべる一方で、「親子だるまを必要としてくれる人が一人でもいる限り、作り続けていきたい」と揺るがない信念を持ち続ける岳南さん。お客さまに喜んでほしいという想いから、お祝い事用に紅白の親子だるまを製作したりと郷土玩具にかかせない童心を忘れずに作り続けています。
 現在、工房には息子2人も入り、岳南さんとともにだるまや土鈴づくりに励んでいます。最近では、二男の忠雄さんが面書きまで手伝うようになり、初代、二代目の二人を追うようにだるまづくりに精を出しています。また、時代に合った販路開拓にも力を入れ、ネット販売や全国各地のクラフト市への出展など、新たな活動も展開。そんな息子たちの姿を嬉しそうに眺める岳南さんの表情は、まさに親だるまそのものです。見守る親と未来へ進む子の姿を映した親子だるまは、今日もこの小さな工房で生まれています。

作品紹介

企業情報

民芸工房がくなん

  • 住所

    山梨県甲府市池田2丁目4-5

  • 電話番号

    055-252-7661

  • ファクス番号

    055-251-9540

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