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ページID:82330更新日:2017年10月16日

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遺跡トピックスNo.0472花咲用水関連遺跡【はなさきようすいかんれんいせき】(大月市)

大月市の遺跡

〔番号〕〔遺跡名〕-〔テーマ〕-〔トップページ掲載期間〕

0013塩瀬下原遺跡-敷石住居-2005年8月10日~2005年8月16日

0083塩瀬下原遺跡-土器・石器-2007年2月15日~2007年2月20日

0227塩瀬下原遺跡-石皿-2010年2月24日~2009年3月2日

0063大月遺跡-敷石住居-2006年9月7日~2006年9月13日

0215大月遺跡-クリの炭化種子-2009年11月18日~2009年11月25日

0314大月遺跡-石器-2011年11月25日~2011年11月29日

0138原平遺跡-縄文時代早期末の住居-2008年4月30日~2008年5月7日

0279御所遺跡-奈良・平安時代の竪穴住居跡-2011年3月2日~2011年3月8日

遺跡の概要

 花咲用水関連遺跡は、大月市大月町花咲地内に所在する田畑等に水を引いた水路に関わる遺跡で、笹子峠・清八山を水源とする笹子川が、富士五湖の一つである山中湖を水源とする桂川へと合流する地点から南へ約300mほどの山裾に立地しています。

 発掘調査では、建物跡の礎石4個と木杭、周辺の土中から石臼が確認されました。なおこの発掘調査は、平成26年度に一般国道20号(大月バイパス)改築工事に伴って調査を行ったものです。

0472_水車小屋跡

〔写真〕水車小屋跡(西から

所在地 大月市大月町花咲地区
主な時代 近世
報告書 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第312集 2017.3刊行
調査主体 山梨県教育委員会

花咲用水

 花咲用水は、笹子川と真木川の合流する地点に取水口をもち、大月市南部を走るJR中央本線の南側を並行しながら東流する近世につくられた水路です。

 花咲用水がある大月市花咲地区は、耕地の少ない山間部で、生産性の低い地域でした。江戸時代に甲州街道として栄えた花咲宿を支えるためには水田開発を行うことがとても重要となりました。用水がつくられた正確な時期はわかりませんが、文書の記録から江戸時代中期には用水が完成し、使用されていたと考えられます。この花咲用水は、現在も田畑に水を行き渡らせ、防災用の水としても利用されています。

  0472_全景 0472_取水口

 〔写真〕花咲用水関連遺跡全景 〔写真〕花咲用水路の取水口

 遺跡の調査区内には、水路が南北方向に2本流れています。東側水路の西側に位置する平地部分には、かつて水車小屋が建っていたと言われています。調査では、水車小屋跡の平地部分と水路部分の調査を行いました。

 調査の結果、建物跡の礎石と木柱状の杭を発見しました(写真左)。建物跡周辺の土中から石臼(写真右)が発見されたことから、粉にするための施設があったことが推測されます。また、周辺の民家には突き臼が保管されていたことから、米や麦などを粉にするタイプと粒を突くタイプの2種類の石臼が設置されていたとも考えられます。

0472_礎石 0472_石臼

 〔写真〕礎石出土状況 〔写真〕石臼出土状況 

 江戸時代に花咲地区では、水路の建設が盛んに行われてきました。水路建設により、豊富な水を利用した農業が盛んに行われ、また、水車小屋が大月市内の各集落に設置されたことで、米や麦などの生産高が上がり、人々の生活を豊かにしてきました。

 現在では、宅地開発が進み当時の面影を残す水路は少なくなってきています。

 今回の調査では、現地踏査や発掘調査、記録図化を一緒に行ったことで、花咲用水を利用した当時の人々の生活の様子を明らかにすることができました。 

 

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