更新日:2016年4月4日

ここから本文です。

甲府城研究室(埋蔵文化財センター)_甲府城年表

甲府城の概要・歴史

甲府城および城下町の発掘調査

甲府城整備事業

甲府城関連伝統技術調査

甲府城普及活動

展示会・イベント

リンク

甲府城年表

甲府城関連事項

1582(天正10) 本能寺の変、徳川家康が入国、平岩親吉が城代となる
1590(天正18) 豊臣秀吉が天下統一、家康関東へ転封
羽柴秀勝(秀吉の甥、秀吉の養子)が入国
1591(天正19) 秀勝が岐阜へ転封、代わって加藤光泰が城主(24万石)となる
築城を本格的に開始
1592(文禄元) 文禄の役、光泰朝鮮へ出兵
1593(文禄2) 光泰釜山の陣中にて病没。浅野長政・幸長が城主(22万5千石)となる
1597(慶長2) 慶長の役、幸長朝鮮へ出兵
1600(慶長5) 関ヶ原の戦い。長政・幸長東軍として戦う
1601(慶長6) 長政・幸長が和歌山へ転封
徳川家康の命により平岩親吉が再度城代(6万3千石)となる
1603(慶長8) 徳川義直(家康九男)が城主(25万石)となる
1607(慶長12) 義直が清洲に転封(親吉は犬山へ転封)
城番制が設置される
1615(元和元) 大阪夏の陣(豊臣氏滅亡)
1618(元和4) 徳川忠長(将軍秀忠二男)が城主となる(22万石)
1632(寛永9) 忠長蟄居を命じられ、再び城番制がしかれる
1661(寛文元) 徳川綱重(将軍家光三男)が城主となる(25万石)
1664(寛文4) 半世紀ぶりの大修理
1678(延宝6) 徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる(25万石)
1704(宝永元) 綱豊、将軍綱吉の養嗣子縁組により江戸城に移る
1705(宝永2) 柳沢吉保が甲斐国を受領、大名領となる(15万1千石)
この頃藩士佐藤三左右衛門が金魚飼育に精通、大和郡山の金魚養殖の祖
1706(宝永3) 城内の曲輪修復や殿舎の造営が行なわれる
1724(享保9) 柳沢吉里(吉保嫡男)、大和郡山へ転封
甲斐国一円が天領となり、甲府勤番の設置
1727(享保12) 甲府城大火(本丸御殿、銅門などを焼失)
1734(享保19) 城内に盗賊が侵入(御金蔵破り)
1854(安政元) 日米和親条約の締結により開国
1866(慶応2) 勤番制を廃止、城代を設置
1867(慶応3) 大政奉還(江戸幕府滅亡)
1868(明治元) 明治維新、板垣退助ら率いる新政府軍が無血入城、鎮撫府が置かれる
1871(明治4) 山梨県誕生
1874(明治7) 廃城、内城のみが残される
1876(明治9) 内城全体に勧業試験場設置、葡萄等が栽培される
1877(明治10) 鍛冶曲輪跡に葡萄酒醸造所を設置
1897(明治30) 清水曲輪跡に中央線甲府停車場を設置
1900(明治33) 楽屋曲輪跡に県立甲府中学校を建設
1904(明治37) 城内を舞鶴公園として開放
1906(明治39) 遊亀橋架橋、稲荷曲輪跡に機山館を新築
1922(大正11) 本丸に謝恩碑建設
1926(昭和元) 内城石垣の一部(楽屋曲輪)を解体
1927(昭和2) 楽屋曲輪跡に県庁を新築
1953(昭和28) 鍛冶曲輪跡に恩賜林記念館を新築
1968(昭和43) 県指定史跡(史跡名称「甲府城跡」)となる
1990(平成2) 舞鶴城公園整備事業に着手
2004(平成16) 稲荷櫓完成

 

研究室トップページへ

このページに関するお問い合わせ先

山梨県教育委員会埋蔵文化財センター 
住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
電話番号:055(266)3016   ファクス番号:055(266)3882

広告スペース

広告掲載について