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甲州鬼瓦職人・永利郁乃さん写真1(トップ)

若草瓦会館 鬼師

ながとし あやの(はなあみ)

永利 郁乃(花阿弥)

家やお城、神社など屋根の棟の端に見られる雨仕舞いの役割を果たす瓦には、家紋や鯱、雲形など様々な模様・装飾が施されたものがあり、それらは鬼瓦と呼ばれ、長い間屋根とその家を守ってきました。その中の一つに鬼の顔を施した鬼面瓦があります。頭にある角、ギョロリと見開いた眼、大きく開けた口から出た牙。その面構えには重々しい雰囲気がある一方、愛くるしさと優しさも感じられる、豊かな表情を持つ鬼面瓦。300年以上にもわたって地域で培われてきた瓦づくりの歴史と伝統は、かつての瓦産地の姿を失くした今もなお、大切に後世に受け継ぐための活動が続けられています。

300余年の歴史と伝統を受け継ぐ鬼瓦の職人「鬼師」

 その昔、南アルプス市(旧若草町)加賀美地区は、御勅使川扇状地の先端付近にあり粒子の細かい粘土層が露出していたこと、良質な水が容易に得られたこと、燻すために必要な松の木が多く茂っていたことなどから、瓦づくりが盛んでした。山梨での瓦づくりの起源は、享保元年(1716年)、武田信玄の家臣が伊勢神宮を参拝したときに、瓦の製造を見学したことを契機に加賀美地区で瓦づくりが始まったとされ、三河(現在の愛知県)の製造技術が取り入れられることで産業が発展しました。幕末の甲府城修築の際には瓦製造の御用を務めるなど、長きにわたる歴史と伝統を誇ります。
 明治36年(1903年)の中央線開通によって、東京・横浜にも販路を拡大し、全盛期の昭和25年(1950年)頃には瓦づくりを行っていた家は約30軒に及び、県内一の生産地でしたが、やがて良質な粘土の不足、セメント瓦や県外産瓦の台頭、昭和3年の身延線開通など交通の発達による県外他瓦の移入、労働力・後継者不足などによって瓦づくりは衰退の一途をたどり、昭和62年(1987年)に加賀美地区の最後の瓦製造業者が廃業することとなりました。
 平成元年(1989年)、瓦づくりの歴史と伝統を後世に伝えていく目的で、伝統技法を工芸に応用した甲州鬼面瓦を彫刻家の柳本伊左雄氏が制作、平成5年(1993年)には後継者育成のための「甲州鬼面瓦制作工房」を開設し、平成10年(1998年)に設立された「若草瓦会館」における瓦工芸と地域の伝統文化の普及活動へとつながっています。現在、若草瓦会館の館長を務めるのが、鬼瓦職人の「鬼師」である永利郁乃さんです。
 福岡県久留米市出身の永利さんは美術系の高校を卒業後、身延山大学へ進学のため山梨にやってきました。「3人姉妹の末っ子ですが、小さい頃から何かをつくったり書いたりして1人で遊ぶ子どもでした。作った作品を褒められるのが嬉しくて。手先が器用な父が模型を作っていたことにも影響されたのでしょう」と、この道に進んだ理由を話します。大学で仏像の制作・修復技術を習得後、一度は横浜市内のECサイト運営企業に就職した永利さんですが、「昔の日本文化に携わる仕事がしたい」という想いを抱き続けていたと言います。ある日、恩師であり若草瓦会館設立にも貢献した身延山大学の柳本伊左雄教授から、若草瓦会館の館長職に推薦したいとの連絡が入ります。永利さんは、「チャンスだと思い即答しました。やはり私は作る仕事がしたい!そんな自分の気持ちを目の当たりにして、すっきりした思いでした」と、この時のことを振り返ります。「また山梨に戻れる、またあの環境に行ける!」かねてより仏像の彫刻や修復を一生の仕事にできたら、どれほど素晴らしいことかと思いを馳せていた永利さんは山梨に移り住み、「鬼師」としての人生を歩み始めます。

粘土を積み重ねていくように、経験を積み重ねていく

 2011年、伝統技法を一から学ぶため山梨に戻った永利さんは、現在、県内唯一の鬼師として慌ただしい毎日を送っています。スタッフ1名とともに、瓦づくりの作業のほか小学生の体験教室を開催し、少しでも甲州鬼瓦を伝える機会を増やしたいと精力的に活動しています。ときには出張体験教室を行ったり、都内で個展を開催したりして、瓦文化を後世へ残すために走り続けています。それでも「技術の習得に終わりはないし、一人前でもなければ満足のいく仕事なんてない」と話す永利さんは、まだまだ勉強中と自分を鼓舞し、鬼面瓦に向き合い続けています。「粘土を積み重ねる作業から生み出される鬼面瓦。削って減らしていく仏像とは真逆なところが面白い」と楽しげに話すも、何度も失敗しては作り直すことの繰り返しだったそうです。粘土を何層にも積み重ね、焼くと1割ほど縮むことを想定しヘラ1本で成形していきます。そして、必ず同じものを2つ作るといいます。「焼くと割れてしまうこともあるので予備を作ります。窯から出すまではいつもドキドキです」。1000度以上の高温で焼き、熱が下がった後に燻して完成に至る鬼面瓦は、いぶし銀に輝きます。

災厄を払う魔除けであり人の祈りが込められている鬼面瓦

 「女性が造っているから、どことなく顔が優しいねと言われる機会が多い」と話す永利さんですが、「屋根に置いて少し遠くから見るものなので、なるべく大げさに、目も鼻も大きく迫力あるように作るように心がけています。私はもっと怖く面白く作りたいのですが、住宅事情も変わってきているので、創作を第一に考えつつも屋根に置く以外の何か新しい形を考えるべきなのかなとも思います」と、鬼瓦本来の姿の復元に打ち込む傍らで、庭や室内用の置物、キーホルダーなども手掛けています。そのような工芸品は型を使った製造工程となりますが、型から外して完成ではなく、一つ一つ手作業で表面を丁寧に整えていく工程が必要となります。
 にらみつけるような鬼は敬遠されがちですが、強さの象徴でもあり、災厄や不運を寄せ付けない魔除けとして崇められてきたことから、鬼面瓦も家を見守るという意味を持ちます。怖い顔をしていますが、どことなくユーモラスで少し面白い、心をくすぐるような鬼面瓦を作り続ける永利さんは、「家を守る魔除けという意味でも、もう少し鬼面瓦を知ってもらう新しい展開を考えていきます」と今後を語ります。

受け継いだ先人の想い、鬼面瓦の伝統と技を後世へ

 「瓦は私が居なくなっても残っていくものなので、その次の世代に上手く橋渡しができていけるように」という想いを語るとともに、「しっかりとした技術がなければ橋渡しはできない。責任ある仕事です。地味な作業が多く華々しい職業ではありませんが、作業の積み重ねが後世につながり生きていく」と感じている永利さんは、作家活動として花阿弥(はなあみ)の雅号を携え、さらなる高みを目指します。「地域活性化の役割も担う若草瓦会館は、この地域の歴史を学ぶ機会を提供する大切な施設です。瓦づくりの後継者を探すためだけの場所ではありませんから、ただ訪れた人たちが瓦に触れてみるだけでもいい。例え思い出の一つになってしまっても、その場所を共有できることが嬉しい」と笑います。「昔の日本の風景を想像するとき、日本家屋の瓦を思い浮かべる方もいるでしょう。かつてはこの辺りのあちらこちらで瓦を焼く煙が一年中上がっていたそうです。そんな風景をもう一度見てみたいですね。」

作品紹介

企業情報

若草瓦会館

  • 住所

    山梨県南アルプス市加賀美2605-5

  • 電話番号

    055-283-5870

  • ホームページ

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