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甲州印伝職人・大森幹雄さん写真1

印傳屋上原勇七 甲州印伝 伝統工芸士(革装飾部門)

おおもり みきお

大森 幹雄

印伝とは、鹿革を使った皮革製品で、革をなめした後に染色し、漆等で模様を描いているのが特徴です。鹿革を加工する技術が日本に入ってきたのは西暦400年代といわれ、幾多の変遷を経て、寛永年間(1624~1643年)に来航した外国人により印度(インド) 装飾革が江戸幕府に献上された際、印伝(いんでん、印傳)と名づけられたと伝えられています。昔は馬具、胴巻、武具や甲冑の部材・巾着・銭入れ・胡禄・革羽織・煙草入れ等が制作されていたそうで、正倉院宝庫内には足袋、東大寺には文箱が、奈良時代の品として残っています。その印伝を独自の手法で製作し、現在の「甲州印伝」の形で世に放ったのが『印傳屋 上原勇七』でした。

甲州印伝のはじまり

 江戸時代になると革製品はさらに生活に浸透し、武士や町民が鹿革で作られた下駄の鼻緒や巾着袋などを愛用し始め、需要が増加したことから、各地でさまざまな印伝が生産されるようになりました。
 1700年代、甲州の革工が表面に漆を使い始めると、なめらかな革肌が人気を集め、「松皮いんでん」「地割いんでん」と呼ばれて親しまれるようになりました。それが甲州印伝の始まりです。明治時代に入ると知名度はさらに上昇。武田信玄が武具の装飾品として使用した信玄袋や巾着袋が内国勧業博覧会で勲章を得たことを機に、印伝は山梨県の名産品となったのです。甲州印伝は、西洋の縫製技術を取り入れハンドバッグなど時代に合わせた製品を展開し、多くの人の需要に応えて人気を博しました。昭和62年(1987年)に国の伝統的工芸品に指定されています。

甲州印伝の第一人者「上原勇七」

 甲州印伝の老舗といえば「印傳屋 上原勇七」です。江戸時代に遠祖・上原勇七が、藁の煙を用いて着色した「燻べ(ふすべ)」、鮮やかな色彩の「更紗(さらさ)」の技術に加え、鹿革に漆付けをする独自の技法を生み出しことから、印伝は甲州名産としてその名を広めていきました。以来、「印傳屋」は伝統の技法を400年以上にわたって守り続けながら、時代に馴染む製品を展開しています。
 印伝を製作する技法は、タイコと呼ばれる筒に鹿革を張り、藁を焚いた煙でいぶす「燻べ技法」。模様の色ごとに型紙を替え多色使いの模様を表現する「更紗技法」。染め上げた鹿革の上に型紙をのせて漆を刷り込む「漆付け技法」。この3つの技法があり、独自の特徴を有しています。

印伝の要である「漆」の技法に取り組む

 「印傳屋」は各工程に専門の職人が数名いるスタイルで、漆付け職人 大森幹雄さんは、漆部門のベテランです。大学卒業間近のある日、陶芸家を紹介した番組を視聴したことから手仕事に興味がわきました。「自営業でプラスチックの成型加工をしていた父の影響もありますが、自分が作ったものをお客様が手に取ったことを想像しただけでワクワクしたことが、この道の始まりです」。とにかく手仕事をしたかった大森さんは、就職はせずアルバイト生活をしていました。そんなときに偶然「印傳屋」の求人を見つけます。「印傳屋」では、各部門に欠員が出ないと求人を出さないため、「本当にタイミングが良かった」と振り返ります。
 「漆場(うるしば)」と呼ばれる作業場で、大森さんは一日のほとんどを漆と向き合って過ごします。漆は、湿度が高いと乾きが早く、湿度が低い冬の時期は乾きづらい特徴があります。「印傳屋」では、黒・赤・白をはじめピンクや限定色の緑、紫、そして新たに定番色に加わったグレーなどの漆を天然の鹿革にのせていきます。印伝に用いる漆には、漆器の漆塗りとは違い、粘りと硬さが必要です。その年の漆の木から採取した樹液を翌年使用しますが、「漆はほとんど水分とウルシオールという成分でできています。植物ですので、豊作の年もあれば不作の年もありますし、天候によっても左右されてしまいます」。大森さんは感覚的でしかないと前置きした上で、入社した頃とは漆の状態の「何かが違う」と話します。自然界の賜物である漆を巧みに操りながらも、「天然のものということを意識して、おおらかな気持ちで取り組まないと漆に振り回されてしまいそうになります」と扱いの難しさを教えてくれました。最初は漆に強い想いを抱いていたため、今まで試していなかった方法で性質を変えてみようとまで思ったそうです。「思い描いたものを作りたいため、漆にこうあってほしいという欲望がありました。しかし、やればやるほど、自然に逆らわないことがベストだと思うようになり、漆の調子が悪ければ悪いなりに、こちらが対応していくことが大事だと気付きました」と気持ちを切り替えました。
 ヘラの使い方はもちろん、漆の硬さも理解できず苦労した若いときに比べ、今では、漆に寄り添って作業をしていると話す大森さん。「この日はこれをやらないとダメ、ではなく、今日の漆の状態を見て一日の仕事を決めます。人中心ではなく漆中心です」。

漆に懸ける日々と印伝への想い

 漆一筋25年、ひたむきに取り組んできた印伝の世界で、大森さんは伝統工芸士に認定されています。ここに到達するまでには数々の失敗もありました。「漆を飛ばしてしまったり、均等に置けなかったり、漆の硬さもよくわかりませんでした」。今では、まるで食事のように生活の一部となり、大森さんの日常の中に漆があります。好きな手仕事ができる喜びの一方で、責任が大きいため、漆を置く際に革の情報を染色担当に聞き、革の状態と向き合うこともしていきます。「漆を良い状態にしていくことが、印伝の魅力にも繋がっていくのだと思います」と想いを馳せます。
 多いときで一日に1,000枚もの革に漆を置く大森さんは、その中の1つも失敗をしないということを自分に課しています。「偏執的ですが」と笑い、「それがやりがいとも感じます」。漆置きを「一瞬の勝負」といい、張り詰める空気の中、スピード感を持って朝から夕方まで作業を続けるには、自身の状態を一定に保つことだといいます。そのため常にフラットな状態でいられるように心がけている大森さんは、印伝の仕事をこう話します。「型紙を手彫りする和紙の職人からはじまり、革の染色職人、裁断と、1つの製品が完成するまでに多くの職人が関わります。一人ひとりの想いがバトンとなり、最終的にお客様に渡される。そんなストーリーが印伝らしいと思います」。
 古典的な菊や亀甲の柄を好む大森さん。「一つひとつに柄の意味があります。特に古典柄は意味が大きく、小桜菖蒲は桜の散り際がよいこと、トンボは前にしか進まないので勝ち虫と呼ばれていることから武士に好まれたそうです。亀甲は長寿、波の文様の青海波は未来永劫へと続く幸せへの願いなど、縁起がいい意味を持ち、文様も同様に受け継がれています」。定番の柄に加えて毎年新しい模様がリリースされ、最近では、アメリカのアーティストでストリートアートの先駆者である「キース・へリング作品」とコラボレーションしたことで、若い世代からも注目を集めました。新しい価値を創造していく「印傳屋」。大森さんは「印伝を幅広い世代の人に知ってもらい、使ってもらえるようになったら嬉しいですね」と微笑みながら、職人としての自身には「満足したことはないですし、まだまだと思っています」。
 大切につくり上げた手仕事の豊かさとそれに寄り添う想い。甲州印伝を通してじっくり味わってみるのもいいかもしれません。

作品紹介

企業情報

株式会社 印傳屋上原勇七

  • 住所

    山梨県甲府市川田町アリア201

  • 電話番号

    055-220-1660

  • ファクス番号

    055-220-1666

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