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市川大門手漉和紙職人・渡邉萌絵さん写真1

市川手漉き和紙 夢工房

わたなべ もえ

渡邉 萌絵

「和紙」はその昔、書物の形で中国から伝来しました。以来、さまざまな地域で手漉き和紙の技術が発展し、2014年には無形文化遺産に登録され、日本人の生活に欠かせないものとして愛されています。その和紙を山梨で生産している市川三郷町。時代とともに機械化した工場が多い中、伝統を受け継ぐべく今もなお「市川大門手漉和紙」を作り続けている担い手がいます。

柔らかくあたたかい市川和紙の誕生

 1200年以上前、全国3万箇所もの地域に手漉きの技法が伝わったといわれています。奈良時代末期の宝亀4年(733年)頃、全国の和紙産地の一つとして甲斐の名が記されています。平安初期に創建された天台宗白雲山平塩寺の旧記に「平塩に九戸、弓削に七戸の紙漉あり」とあり、現在の市川三郷町に職人がいたことがうかがえます。また甲斐源氏の祖、源義清が市川に移り住んだ際、伴ってきた家臣の紙工「甚左衛門」が、市川の紙漉の人たちに優れた技術を伝授したとも伝えられています。多くの寺院が立ち並び漉家も数多くあったため、市川の漉屋から漉出される紙は写経などに用いられ、戦国・江戸時代には、武田氏、徳川氏の御用紙とされていました。
 “美しい人の素肌のよう”という意味の「肌吉(はだよし)」と称されるように、市川三郷町の和紙はその美しさ、強靱さにより存在を大きくしていきました。手漉き和紙から大きな技術革新を経て機械紙漉きの技術を確立。歴史の重みを大切にしながらもさまざまなアイデアを加え、雑貨やインテリアなどの製品に派生していきましたが、その中でも障子紙は全国シェア40%(日本一)と、市川三郷町が誇る地場産業として栄えていったのでした。一方、全盛期の頃300軒あった手漉き和紙工場は今ではたった1軒。唯一の手漉き和紙職人である豊川秀雄さんが長いこと、代々受け継がれてきた伝統を守り続けていました。

地域の伝統を未来へ結ぶ決意

 渡邉萌絵さんは平成10年生まれのまだ初々しさ残る物静かな女性。彼女は、市川三郷町で生まれ育ったのち、京都の大学へ進学しました。「一人っ子のせいか小さな頃から一人遊びと読書が好きな子どもでした」。大学へ入学したものの、卒業後の進路に教師か学芸員、図書館司書の3つしか選択肢がなく、「教師になりたくて進学したのですが、人前に立つのが苦手で私の性格では、その職業が向いていないと思ったんです。1人で黙々と何かを作ることが好きなこともあって両親に相談したところ、和紙の職人がいいのではと勧められ京都伝統工芸大学校を受験し直しました」。市川三郷町民であれば和紙は身近な存在。渡邉さんも例外ではなく、小学校卒業時は自身で手漉きした卒業証書を手に、学び舎を後にしました。また父親が畳職人ということもあり、技術職には違和感がなかったと話します。
 京都伝統工芸大学校では和紙職人を目指し基本を学び、進級時に「直接肌で感じる勉強をしたい」と市川三郷町に戻ってきた渡邉さん。「父が若い時代は、周りに大勢の手漉き和紙職人さんがいたそうです。友達の父親であったり近所の人であったり。それほどまで市川三郷町の和紙は栄えていたんだなと実感しています。でも私が京都から戻ってきたときは豊川さん一人しかいなくて、和紙職人が途絶えてしまうことは父としても寂しかったのだと思います」。豊川秀雄さんに師事し、町役場に所属しながら職人として手漉き和紙の伝統を守っていく道を歩み始めました。

感覚でつかむ手漉きの技術

 地元に戻り、4年の月日が流れようとしています。渡邉さんは、市川三郷町が令和2年3月に市川大門手漉和紙の後継者の育成と確保、紙漉きの振興を図る目的で設立した「市川手漉き和紙 夢工房」で働いています。ここでは手漉き和紙を生産する傍ら、町の子ども達の伝統行事でもある卒業証書の手漉き製作や一般の方の手漉き体験、さらに隣接する試験場で製紙試験も行っています。渡邉さんは新商品の開発やSNSでの発信、クラウドファンディング、ふるさと納税など新たな試みに挑戦し、夢工房が市川大門手漉和紙の発信拠点と町の観光拠点となるよう奮起しています。
10年経たないと一人前とは呼べない厳しい職人の世界に足を踏み入れたのは、手漉きの技術を継承したいから。「今ははがきサイズからコピー用紙ぐらいの大きさを漉いていますが、ポスターぐらい大きな紙を漉いて、尚且つきれいにできてやっと一人前と認めてもらえます。自分が作りたい紙を漉くにはどうすればいいのかイメージした上で、実際作るのは大変。手漉きは機械と違って、手の感覚を掴むことでしか作れないので」と技術向上に邁進する渡邉さんがいます。
 注文を受けて、多いときで一日500枚から600枚を漉くという渡邉さん。和紙の材料となる三椏(みつまた)や楮(こうぞ)の繊維、パルプを水に溶かす工程から始まります。「簀桁(すげた)」と呼ばれる道具を使って漉き、水を絞り、乾燥機に貼り付け乾燥させる工程を何度も何度も繰り返します。「均一にきれいに漉くことはもちろんですが、紙の持つ風合いや触ったあたたかみを大切にしたいと思っています」。
 今は吸水機や乾燥機を使う工程も、昔は水絞りも乾燥も全部手作業でした。「豊川さんから教えていただきましたが、一連の作業を1人でしたことがないのでやってみたいですね」。

手から生まれ表情を変えていく和紙

 材料に大塚人参やぶどう、柿の皮やくわの葉など農産物の繊維を入れたり、和紙玉をイヤリングに加工したり、渡邉さんの新たな挑戦に、町からも注目が集まります。「どんなものだったら手に取りやすいのか想像して形にしています」と自由な発想で市川和紙の新しい魅力を引き出しています。
 2022年の夏には市川三郷町内の三椏の街路樹から紙を漉くなど、身近な材料を使った和紙作りを行い、県外の催しにも積極的に参加している渡邉さん。「地元で収穫した三椏の木の皮を自分で削いだことをきっかけに、もっと和紙を掘り下げたいと思うようになりました」と、材料にも関わることで和紙の奥深さを知り、同時に効率性も考え始めたといいます。「木の皮に付着しているゴミを取ることで、その後の手間が省けてとてもきれいな和紙を漉くことができたんです。丁寧に下準備をすることでこんなにも違いがあることに驚いたし、材料によって和紙に違いがあることも勉強になりました」。いつか山梨県産の木の皮を材料に、近くを流れる川の水を使って、昔ながらの手法で和紙を漉いてみたいと胸を躍らせているようです。豊川さんのもとでさらに腕を磨き、知識を習得しながら和紙を漉いていくことでしょう。

作品紹介

企業情報

市川手漉き和紙 夢工房

  • 住所

    山梨県西八代郡市川三郷町市川大門1725

  • 電話番号

    055-272-5137

  • ファクス番号

    055-272-5137

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