ここから本文です。

甲州花火トップ02(聖礼花・齊木煙火本店)

こうしゅうはなび

甲州花火

歓声のあがる一瞬をつくる

起源は武田信玄時代の烽火にあるといわれ、江戸時代には町衆から花火師が生まれたことで発展しました。全国各地の花火大会で打ち上げられる割物花火をはじめ、運動会等の合図として音花火も打ち上げられています。
毎年夏には、笛吹市で石和温泉花火大会、市川三郷町で神明の花火大会が開催され、甲州花火が夜空を彩っています。

  • 主な産地

    笛吹市、西八代郡市川三郷町

  • 指定年月日

    令和5年3月(山梨県郷土伝統工芸品)

  • 主な原料

    硝酸カリウム、硫黄、木炭、過塩素酸カリウム、マグネシウム、アルミニウム、チタニウム、マグナリウム、各種可燃剤(レジン系、塩化ゴム・ビニール、各種炭粉)、焔色剤(炭酸ストロンチウム、硝酸バリウム、酸化銅、蓚酸ナトリウム)、和紙、玉皮、クラフト紙

歴史

甲州花火には大きく二つの流れが存在すると考えられます。一つは戦国時代以来の「烽火衆」・「火術」・「砲術」の流れであり、もう一つは遅くとも江戸時代末期までには成立していたと思われる「町衆花火」です。前者は軍事的・武士的な伝統あるいは伝承として笛吹市に、後者は江戸期の市川大門の富裕な町人文化として市川三郷町に受け継がれているのではないかと考えられています。
(株)山内煙火店蔵の、明治28年(1895年)の山内宗次郎氏宛「火術入門証」及び明治31年(1898年)の同氏「烟火旭流誂法」にある「煙火術旭流」が火術との関連を示唆しています。
また、江戸時代、市川大門地域の市川和紙を御用の和紙として幕府に納める「御用漉衆」が江戸へ出向いた際、ちょうど夏の花火大会を見て帰ったことをきっかけに、その後専門職人を招いて製造方法、打ち上げ方法を村人に習得させたと言われています。
市川三郷町高田の一宮浅間神社に伝わる正徳元年(1711年)の「一宮浅間宮帳」や、文久3年(1863年)当時の市川三郷町市川大門の名主藤右衛門が記した秋山家文書「勤役中日記」などに、盛況に花火大会を開催した記録や花火の生産地としての記録が残っています。
打上花火が長年県民に親しまれてきた資料としては、明治7年(1874年)の「笛吹川新架甲運橋祝烟順書」や戦前の「甲府えびす講祭り」の番組(番附)等があり、これらのイベントプログラムなどで花火鑑賞が広く県民に浸透していたことが読み取れます。

技術・技法

(1)配合

星(※1)と割薬(※2)を造粒するため、酸化剤・可燃剤・焔色剤などを目的に合った割合で混ぜ合わせ、火薬にする。
引火や暴発が起きないよう衝撃、摩擦、静電気を避け、慎重にふるい分け作業を行う。
※1 炎、火花、火の粉、光、音などを発する和剤
※2 花火玉を破裂させ、内容物の星に着火させて同時に放出する和剤

(2)造粒

色の変化や星の大きさに対して、水などに溶く火薬の濃度、締め付け具合などの調整を行い均一な星を作る。
たらい又はミキサーで星・割薬を回転させることで造粒し、乾燥させる。

(3)玉込め

玉皮に、ゆるみの無いように星・割薬を均一に装填する。

(4)玉貼り

短冊状のクラフト紙を糊付けし、玉込めの済んだ玉皮の周りに均一に貼っていく。
花火玉の大きさにより貼る回数は変わり、例えば10号玉では約50回玉皮の周りを貼っていく。

(5)乾燥

均一に乾くように天日干しや乾燥室での乾燥を施す。

生産者紹介

やまなし伝統花火組合