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甲州雨畑硯職人・雨宮正美さん写真1

峯硯堂本舗 硯匠

あめみや まさみ(あめみや ほうけん)

雨宮 正美(雨宮 峯硯)

甲州の銘石「雨畑石」は、700年以上もの昔、早川町の雨畑川上流で発見されたと伝えられています。雨畑石から作られる漆黒に輝く硯は、作り手と使い手をつなぎ、互いの想いと個性を合わせ、幾重もの光を放ちます。雨畑石を産出する早川町雨畑地区と、富士川町鰍沢地区では、古くから硯づくりが盛んでした。最盛期であった明治時代には、100人ほどの硯職人がいたそうですが、時代の変化とともに減少し続け、今では僅か6名ほどになっています。そのうちのお一人であり「現代の名工」を受賞した雨宮正美さんを訪ねました。

自らの学びで切り拓く

 富士川に沿って国道52号を南に進むと、富士川町鰍沢地区に「甲州銘石雨畑硯製造本家 峯硯堂本舗」と記された看板を掲げる建物があります。1階は書道用品を販売し、2階には「すずり館」と呼ばれる展示室が併設され、かすかに墨の香りが漂い、大中小さまざまな硯が並んでいます。2017年に「現代の名工」を受賞、2018年に「黄綬褒章」を受章し、「雨宮峯硯」を雅号とする雨宮正美さんは、100年近く続く峯硯堂本舗の4代目。小さな頃から工房に来ては、父親の仕事ぶりを見たり職人さんたちと遊んだりしながら硯と一緒に成長してきました。「5人兄弟の長男でしたので、家業を継ぐのは当たり前と思って過ごしていました。男4兄弟のうち私と次男が硯を生業にしたのです」。当時、10人ほどの職人が石を彫る作業に打ち込んでいた姿を見て、家業を継ぐ覚悟をしていたといいます。やがて高校を卒業すると、父親のもとで働きはじめます。「手取り足取り教えてくれるわけではなし。昔の職人のように技術は見て盗めという世界で、何も教えてくれませんでした」。石の見分け方もわからず、ただ父親の隣で作業を見るだけの日々。ひたすら自分の目で見て学ぶという時間を過ごしました。
 「仕事といえば最初は磨きの作業ばかり。原石自体とうといものだから簡単には渡してくれず、ノミの持ち方ひとつとっても見様見真似です。作業の合間に手わざを細かく観察しては、製品にできない不要な石を彫り、自ら研鑽を積む毎日でした。ある日、彫った作品を父親に見せたところ、“どうやって作った”と驚かれました」。“10年経ってやっと一人前”といわれる厳しい硯の世界に身を投じて5年、わずかながら自信を感じた遠い記憶。「意地になって、がむしゃらにやったおかげ」と、雨宮さんは当時を振り返ります。その後も営業を中心に家業に励む日々が続きましたが、営業と並行して硯づくりも任されるようになったことを機に、本格的に硯に向き合いはじめました。父親が亡くなり、峯硯堂本舗を背負う職人として、それまで以上に仕事に打ち込み続け40歳を迎えた頃、「やっと一人前になった気分でした」。

奥深き硯の世界

 早川町にはフォッサマグナの断層があり、堆積した良質の粘板岩が採取できます。「材質は緻密で粒子が細かいため、水の吸収率が低く硯石に適しています。持ってみると、ほかの産地に比べてとても重いんですよ」と副代表で5代目の正貴さんが教えてくれました。また「水分を吸収することが少ないということは、墨を磨っていても墨液が粘ることがなく、スムーズに墨を磨ることができるということです」。
 さらに硯の表面には、「鋒鋩(ほうぼう)」とよばれる目には見えないほどの大きさの凹凸(墨を磨る際にやすりの役割)があります。この鋒鋩が細かく均等にあるものが良硯とされ、雨畑硯の材料となる雨畑石はその性質に非常に優れ、立体感のある墨色を出す墨液をつくることができます。また、良質な雨畑硯の特徴としては、硯の表面にある細かな模様です。この模様が入った硯は大変希少価値があり、模様の入り方で硯の価値が測られます。「この模様はネズミの足跡とうちでは呼んでいます。化石のような石で、ネズミの足跡のような模様が無数に入っているのが特徴なんです。この層の石は良質な鋒鋩があり、とてもいい硯石です」。自然石なので質感はそれぞれで、叩くと響く音も違うそう。「良い硯は見て触ってみないとわからないものなんだよ。ある人にとってはただの石ころだけど、好きな人にとっては、この硯で墨をすりたいという気持ちになります」。

彫り上げる芸術美

 雨宮さんが作り出す硯は、奥行が感じられる美しい曲線を描きます。作品は、龍や蛙を象った芸術性の高いものからハートをモチーフにした遊び心のあるものまで多種多様。「石は自然の生き物だから瑕(きず)があるかもしれないので、最初にノミを入れるときは、とても緊張します。常に自分の考えでつくり出すのですが、イメージと合わないこともある。時間に追われることがあっても、そこで満足してはダメと自分に言い聞かせています。出来上がった硯を使ったお客様から墨の色が違うと言われると嬉しいですね」。だから雨宮さんの硯は、書家に愛されて止まないのです。
 硯と向き合いはじめて50余年。右肩はノミが当たるので何度も皮が剥け、タコができています。ノミをいくつも替えて彫り続け、右肩にだけ負荷がかかる。それでも雨宮さんは手を休めることはしないのです。石選びから石ごしらえ、彫り、磨き、仕上げまで、すべて職人一人で作り上げていく硯。仕上げに用いる漆によって、表面に光沢をもたらし、又はマットな質感を加えて表現の幅を広げます。こうして生まれた硯は、雨宮さん自身が放つ力強さとあたたかさを投影したかのように、深い青みを帯びた黒い輝きで魅せます。「原石を見つめ、どんなふうに硯を作っていこうかと思考を巡らせては、この石を彫りたいと思わせるのが硯づくりの魅力なのでしょう」と、正貴さんはいいます。雨宮さんが完成させた硯の一つが、天皇陛下の即位を祝う献上品に選ばれました。

守るものと攻めるもの

 雨宮さんの一日は、店舗に祀ってある石神様に感謝することからはじまります。「代々受け継がれてきた石神様(石の表面に子供を抱く母の姿が現れている硯石)に、毎朝水を取り替えて手を合わせます」。それは、墨を磨る文化を残していきたいという想いから。跡を継ぐ正貴さんも「先代が礎を築き、大きくした文化です。伝統であり、歴史的な価値があることを多くの方に知ってほしいと思います」と、SNSでの発信を筆頭にオンラインショップの開設、都内での展示会への積極的な参加など、雨畑硯の周知に取り組んでいます。今後は「硯製作の実演会を開催したいと思います。書道が国の登録無形文化財となり、ユネスコ無形文化遺産登録への動きも出ているので、その時は道具の産地も無形文化遺産にしてもらえたら、少しは文化が守られるのでは」と、果てない未来を照らすべく奔走します。
 職人として、表現者として卓越した技術を持つ雨宮さんは、その伝統と技術の継承、そして新しい価値の創造を信じて、今日も雨畑硯と向き合います。

作品紹介

企業情報

峯硯堂本舗

  • 住所

    山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢5132

  • 電話番号

    0556-27-0209

  • ファクス番号

    0556-27-0061

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