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ページID:109994更新日:2023年12月8日

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No.536 酒呑場遺跡ー縄文時代の「数」の概念が示された?不思議な土器

北杜市酒呑場遺跡

 酒呑場遺跡(さけのみばいせき)は、北杜市長坂町、八ヶ岳南麓の標高710m前後にある小高い丘の上にあり、東西約150m、南北約300mの巨大な遺跡です。発掘調査は山梨県酪農試験場(現畜産酪農技術センター長坂支所)の増改築工事に際して実施され、1994年から2001年、2017年と5次にわたり、合計約104,900平方メートルの面積の発掘調査が行われました。

 発掘調査の結果、遺跡東側に縄文時代前期後半(約6,000年前)を中心とした住居跡群、北側には縄文時代中期前半(約5,500~5,000年前)の住居跡群、南側には縄文時代中期後半(約5,000~4,500年前)の住居跡群が見つかりました。

 酒呑場遺跡は、縄文時代前期後半から中期後半の約1,500年もの間営まれた大きな集落であり、出土資料のうち、土器や石器、土偶などの計683点は国の重要文化財に指定されています。

 

調査機関:山梨県埋蔵文化財センター

報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書

 第135集(1997年刊行)、第136集(1997年刊行)、第209集(2003年刊行)、

 第216集(2004年刊行)、第320集(2019年刊行)

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第5次調査の成果

 平成29年度、当センターで実施した第5次調査では、狭い範囲の調査ながら、縄文時代前期後半の住居跡や、中期後半の住居跡などが多数発見されました。縄文時代中期後半の住居跡からは、大きな土器(深鉢)を逆さまにして埋めた遺構や、石で4隅を囲った炉跡などが良好な状態で見つかりました。

埋甕

 

 

 

 

 

 

 

 

土器を逆さまにして埋めた遺構(埋甕(うめがめ)と呼ばれています)

なんだこの土器は・・・!? 

 今回のトピックスで注目したいのは、縄文時代中期後半の土坑から出土したこちらの土器です。

酒呑場遺跡土器

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一見すると、やや小ぶりな普通の深鉢形の土器です。特徴としては、口縁部(土器のてっぺん)が波状になっており、4つの波頂部があり、胴部は真ん中でくびれています。波頂部には、ぐるぐると渦巻きの文様が棒状の工具で描かれており、そのまま下の方までスッと線が引かれています。胴部につけられた文様から、縄文時代中期後半でも、その終わりに近い時期のものと想定されます。

 さて、通常の遺跡の発掘調査報告書では、土器を正面から捉えた実測図が主に掲載されています。しかし、この土器は、一方向から見ただけでは分からない、ちょっぴりミステリアスな情報が含まれていました。

○の数は何を示す?

 

実測図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上の実測図は、▼マークがあるところを正面として、一周している口縁部の文様を平面上に展開したものになります。なんと、この土器は、波頂部のある4方向(前後左右)それぞれから見ると、渦巻き付近の文様が異なっていたのです!

細かく見てみると・・・

実測図2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渦巻きの文様の左側と右側に、それぞれ円形の刺突が施されています。そして、この図の一番左側の面は、渦巻きから下に伸びる2本の線の内側の文様も、他の面と異なり、円形の刺突となっています。

 この円形刺突の数は、左側は0あるいは2、4、右側は2ないし4となっており、いずれも偶数で示されています。このような数字の並びには、何か数列的な意図を感じずにはいられません。しかし、めっきり文系脳の筆者にはこの難解な数列を読み解く術はありません・・・。

 冗談はさておき、こうした円形刺突により数字を表したと思われる縄文時代の考古資料は、他にもいくつかあるようです。

国特別史跡 大湯環状列石・ストーンサークル館|舌状台地の上に立地する2重の円環による2つの環状列石を主体とする祭祀遺跡 (explorekazuno.jp)

 秋田県の大湯環状列石から出土した「どばんくん」。こちらは同じような円形の刺突で、1~6までの数が認められます。

 同じように数を示したと思われる土偶は、青森県の三内丸山遺跡でも出土しています。

 さてここでクエスチョン。この土器に刻まれた「数の概念」はいったい何を表しているのでしょうか。

土器が出た場所

 土器が見つかったのは、直径1m、深さ60cm程度の土坑です。この土坑からは、ほとんど完全な形の3つの深鉢形土器が出土しており、いずれもほとんど完形で、意図的に埋められたものと思われます。

土器出土状況

 

 

 

 

 

 

 

 

 発掘担当者は、このように意図的に土器を埋める行為は、この土坑がお墓として使われた可能性が高いと考えました。埋まっていた土を科学的に分析したところ、お墓として利用された可能性があるとの結果を得ることができました。

縄文人の心に迫れるか

 このことから、この土器はより“特別なもの”として作られた可能性を帯びてきました。縄文時代のこの時期には、住居跡の柱の本数の単位や、土器に付く把手(とって)の数などに偶数の単位がよく用いられます。また、例えば集落の人数、家族の人数などを示したとも想像できます。もしかしたら、絵巻物のように場面場面に物語性をもって、当時の縄文人にしか分からない何かを表していたのではないでしょうか。

 考古学では特定が難しい、縄文人が残したこのような痕跡に、ロマンを感じずにはいられません。

土器

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時流行していたブル●ンちえみwithBを意識して撮影した写真

 

 

 

 

 

 

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