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ページID:4380更新日:2016年2月5日
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第4回甲府城展~金箔鯱瓦を探る~(開催報告) 【写真1】展示会場の様子 甲府城稲荷櫓では、4月6日から15日にかけて特別展示会が開催されました。第4回目となった今年は、甲府城が築城された1590年代に位置づけられる城内出土の鯱瓦を中心とした資料を展示しました。開催期間中には3300人を超える来場者があり大盛況のうちに終わりました。 展示は、出土品・パネル(原寸大鯱瓦・絵図ほか)など合わせて合計106点で、金箔(きんぱく)の付された鯱瓦や家紋瓦など普段展示されていない貴重な資料でした。 甲府城出土の金箔鯱瓦甲府城跡からは、複数個体分の鯱瓦がみつかっています。中でも、【写真2】は出土品にも係わらず残存状態がよく、姿・形がよくわかります。金箔は、鰭(ヒレ)や胴部に若干確認できる程度ですが、目・口・耳・腹部分には今でも赤々とした朱が残っています。この鯱瓦は、残存部分の高さがおよそ68cmで、大きさから櫓や門などの屋根に葺いたものと推測されます。 【写真2】人質曲輪出土の鯱瓦 【写真3】目部分の拡大 【写真2】以外の鯱瓦は、残念ながら破片資料が出土しているだけですが、こうした資料を総合的に検討すると最大で135cmほどの金箔鯱瓦が存在していたことがわかってきました(パネル1)。松本城大天守(高さ25m)の鯱瓦が130cmほどであることを考慮すると、甲府城にも比較的大きな建物があった可能性があります。 【パネル1】金箔鯱瓦の復元図 金箔瓦の意味金の鯱といえば名古屋城が有名ですが、甲府城跡以外にも出土事例が知られており、甲府の周辺では、上田城からも出土が確認されています。また、鯱瓦以外の金箔瓦でみると、関東周辺では松本城・小諸城・沼田城などもあり、江戸城にいた徳川家康を囲むような分布になります。これは、当時の権力者であった豊臣秀吉が江戸に家康を移封するとともに、秀吉が信頼する配下の武将を周囲に配置して城を修改築させた結果、秀吉築城の象徴である金箔瓦が使用されたためと考えられています。甲府城跡では、鯱瓦の他にも金箔の付された鬼瓦(風神)・家紋瓦・軒瓦がみつかっています。 【パネル2】金箔瓦の分布図 【写真4】金箔家紋瓦(桐) 講演会(甲州寺子屋)甲府城発掘展では、展示会に合わせて展示テーマに沿った講演会を開いています。今回は、山梨県郷土研究会の林陽一郎氏と甲府市教育委員会の佐々木満氏による記念講演を「武田城下町と甲府城下町」と題して、4月7日(土曜日)に恩賜林記念館2階講堂において開催しました[写真5・6]。武田城下町の成立から甲府城下町への変遷や今にみる城下町の見所などをわかりやすくお話いただき、当日は午前中にも関わらず100人ほどの方々にお越しいただきました。 【写真5】講師の紹介 (写真左:佐々木氏、中央:林氏) 【写真6】講演会の様子 展示会のチラシリンク |