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富士の国 やまなしの魅力
世界遺産とは過去から引き継がれてきた人類共通の遺産を、国際的に協力しあって保護・保存していこうという、「世界遺産条約」に基づく「世界遺産リストに登録されている物件」のことです。
山梨・静岡両県では平成10年11月18日、富士山憲章を定め、富士山を愛する多くの人々の思いを結集し、保護と適正な利用のもとに、富士山を国民の財産として、また世界に誇る日本のシンボルとして、後世に引き継いでいくため、世界文化遺産登録実現に向けて取り組んでまいりました。そして平成25年6月、カンボジアで開催された第37回ユネスコ世界遺産委員会において、富士山の世界文化遺産への登録が決定しました。
標高3,776m、日本一の高さを誇る富士山は、その壮大さと、頻繁に繰り返された荒々しい噴火によって、古来より人々の畏敬を集め、「信仰の対象」となってきました。またその円錐形をした美しい姿は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、数多くの「芸術の源泉」となっています。人と自然が信仰と芸術を通して共生する姿が富士山の大きな特徴であり、これらが世界遺産としての顕著な普遍的価値と認められたのです。
古(いにしえ)より日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。
室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行(はせがわかくぎょう)が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。
角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」(ふじこう)として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。
明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。
富士山は、その美しい姿から、様々な創作活動の題材となってきました。8世紀に編纂された日本最古の歌集である『万葉集』(まんようしゅう)にも、富士山が詠まれた作品があり、そのひとつでは、富士山を国の鎮めの神であり、宝であると詠んでいます。この時期立ちのぼっていた噴煙は、燃える恋の象徴として数多くの文学作品に描かれました。『竹取物語』『古今和歌集』『伊勢物語』などの古典作品をはじめ、松尾芭蕉や与謝蕪村の俳句、夏目漱石や太宰治の作品にも取り上げられています。
富士山を描いた最も有名な絵画としては、江戸時代に制作された浮世絵が挙げられます。浮世絵では、葛飾北斎が『冨嶽三十六景』で、歌川広重が『不二三十六景』『東海道五拾参次』で様々な場所から見た富士山を描き、ゴッホやモネなど、印象派の画家にも影響を与えました。近代日本画では、『群青富士』で知られる横山大観などが数多くの富士山の作品を残しています。
数多くの信仰と芸術を生み出した富士山に関わる文化財には、その山体だけでなく、周囲にある神社や登山道、洞穴、樹型、湖沼などがあります。これらの文化財は、富士山の価値を構成する資産(構成資産/構成要素)として現在まで受け継がれてきました。ここでは世界文化遺産としてふさわしい価値を有している富士山の構成資産/構成要素について紹介します。
名実ともに世界の宝となった「富士山」。私たちは、この富士山を大きな誇りとして、世界に通用する地域づくりを進めるとともに、大切な自然環境を守り、後世に引き継いでいく責任があります。引き続き皆さまのご協力をお願いいたします。